自分の体験を言語化、理論化することで社会の役に立つ、それが社会人の学び|#061 桧森 隆一さん
聖学院大学大学院 政治政策学研究科 修了
広報センターは、noteに記事を公開されている聖学院各校の卒業生を定期的にチェックしています。
先日、聖学院大学大学院の修了生が書かれた記事を発見したので読ませていただいたところ、なんとこの方、昨年まで大学教授でいらっしゃったそうで、しかも嘉悦大学と北陸大学と2つの大学で副学長を務められた経歴をお持ちでした。
これはぜひ取材しなければとご連絡をしたところ、ご快諾いただいたのみならず、浜松からはるばる大学までお越しいただき、とても勉強になるお話をたくさんお聞きすることができました。
ーー大学院進学を検討されたきっかけと、聖学院を選んでいただいた理由、そして大学院での思い出をお聞きできますか?
文化政策への素朴な疑問、政策について学びたい
私が大学院で学んだのは51歳のときだったのですが、当時私はヤマハに勤務していて、音楽企画制作室長を務めていました。
コンサートや音楽イベントの企画、プロデュースが主な仕事で、自治体と一緒に仕事をする機会が多くありました。
自治体と接する中で、「なぜ自治体は文化ホールを作るのか」「なぜ自治体は音楽祭を主催するのか」「なぜ文化ホールを通してコンサートや音楽イベントを市民に提供するのか」といった素朴な疑問を持つようになりました。
この疑問をどうすれば解消できるだろうかと考え、「大学院に行って研究すれば良いではないか」という一つの解決策に気がつきました。
私は学習院大学の法学部で政治学を学びましたが、行政や政策に関しては学んできていませんでした。
だから、大学院では政策について学びたいと考えました。
知人が明治大学の政治経済学研究科を修了していて、そんな話を相談したところ、明治大学の中邨 章(なかむら あきら)先生の専門分野なので、中邨先生のもとで学んではどうかとアドバイスされました。
ところが明治大学の大学院は社会人向けの昼夜開講制ではなく、学ぶには会社を辞める必要がありましたし、合格するためにはそれなりに準備をする時間も必要でした。
社会人対象の大学フェアに足を運び、政策分野を学べる社会人向けの大学院を探しました。
聖学院大学大学院には政治政策学研究科があるので、聖学院のブースに立ち寄り、パンフレットをチェックしたところ、なんと客員教授として中邨先生の名前が書いてあったのです。
しかも、ゼミを持たれていて、修論の指導もされています。
ならば、聖学院でいいじゃないかと思い、受験を決めました。
面接官の先生と昔話で盛り上がり
聖学院の大学院の入試は小論文と面接なのですが、面接官の一人は、研究科長の飯坂 良明(いいざか よしあき)先生でした。
飯坂先生は聖学院大学の学長に就任する前、学習院大学にいらっしゃられたので、学習院大学の卒業生である私は30年前に飯坂先生の授業をとっていたことがありました。
聖学院大学チャペルを設計された香山 壽夫(こうやま ひさお)先生のお兄さんである香山 健一先生が学習院大学で社会学を教えていて、私は香山先生のゼミに所属していました。
そんな話を含めて、当時の学習院の先生の話や、むかし話で大いに盛り上がった面接となりました。
無事、合格通知がきたところで、妻に大学院に進学することを報告しました。
すると、「大学院に行って学位を取ったら給料は上がるの?」「今よりも待遇が良い会社に転職できるの?」と質問されました。
「そういうことはないな」と答えると、「じゃあ趣味で大学院に行くのね」と言われました。
大学院進学のきっかけは自治体の文化政策に対する好奇心でしたし、よもや大学の教員になろうなんて夢にも思っていなかったので、趣味と言われればその通りだなあと思いました。
利害関係のない自由なディスカッションは何事にも変え難い時間
中邨先生はもちろんのこと、当時の聖学院の政治政策学研究科には、中央大学でも教えられていた佐々木 信夫先生がいらっしゃいましたし、東京都の都市計画の局長だった東郷 尚武先生、東京銀行の取締役調査部長で、ニュースステーションでときどき解説などされていた真野 輝彦先生といった、学会的にも社会的にも権威ある素晴らしい先生方がたくさん在籍していました。
学習院大学時代に教わったことがある先生は、飯坂先生以外にも田中 靖政先生がいらっしゃいました。
そうした先生方の授業を受けられたことでも大学院で学んだ意味がありましたが、何より楽しかったのは、利害関係のないところで自由にディスカッションができたことです。
政治政策学研究科は税理士試験の税法科目免除(※)があるので、半分は税理士をめざしている人たちでしたが、半分はそうではなくて、埼玉県の自治体職員も何人か学んでいました。
そうした人たちと議論できることが楽しくて、毎週、授業がある日が楽しみでした。
私のように中邨先生のもとで学びたくて聖学院に来た人もいましたし、中邨先生の明治大学の学生と議論をする機会もありました。
社会人で学ぼうとするとやはり忙しいですし、私も仕事で遅くなって授業に間に合わなくなりそうで、東京から大宮まで新幹線に乗車したなんてこともありました。
しかし、楽しく学ぶ時間は社会人にとって必要で何事にも変え難い時間ですから、忙しい人こそ大学院で学ぶべきだと思います。
忙しさを理由にしてはいけません。
また、「リスキリング」と、何かスキルを身につけなくちゃとケチなことを言っていないで、私のように趣味として学んだら良いのではないでしょうか。
仕事と直接関係がない、興味のあることを学ぶ方が、自分の人間としての幅を拡げることになり、結果的に仕事の役に立つことは多いと思います。
私は履修していない佐々木先生の授業に潜り込んで発表までしたことがありますが、「単位取得とか関係なく、面白いから学ぶというその態度こそが純粋で、本当の学問だよね」と佐々木先生はおっしゃってくれました。
会社以外に活躍できるフィールドを持つことのすすめ
ーー大学院修了後、どのような経緯で大学教員になられたのかを教えてください。
私は大学院を首席で修了することができて、学位授与式には壇上に上がらせていただき、記念品として金時計をもらいました。
「変動する社会環境と自治体改革ービジネス手法の導入とその限界」というタイトルの修士論文で優秀論文賞をいただき、聖学院大学総合研究所紀要に収録してもらっていますが、その修論を執筆していて行き詰まったときがあり、私は息抜きというか、気持ちを切り替えたくて「行政経営フォーラム」という学会のような組織に加入しました。
行政経営フォーラムは、当時ではめずらしくオンライン上での会議も行われていて、議論に参加することで自分の専門性を高めることができ、人脈をつくることができました。
また静岡文化芸術大学に知り合いの先生方がいますが、私は当時、企業人でありながら発起人の一人となって一緒に日本文化政策学会を立ち上げました。
会社以外に活躍できるフィールドを持つことは、仕事にとってもプラスになりますし、人生を切り拓くことにもつながります。
行政経営フォーラムがご縁で懇意になった慶應義塾大学総合政策学部(SFC)の玉村先生からある日電話がかかってきて、「大学の先生になりませんか?」と言われました。
当時私は58歳で定年まであと2年でしたので、「定年してからならいいですよ」と答えました。
そうしたら、「いや今すぐです」と言うのです。
ヤマハでは、一応肩書きはあったものの、すでに役職定年の立場でしたし、会社の中で一通りやれることはやったという気持ちがありましたので、残りの人生を ”社会貢献” として生きるのも良いかと思い、玉村先生の誘いを引き受けることにしました。
慶応SFCを立ち上げ、千葉商科大学の改革を行った加藤 寛(かとう ひろし)先生が嘉悦大学の変革を手掛けるにあたり、そのメンバーとして私も招集されたのです。
それが私の大学教員としてのスタートでした。
私は、嘉悦大学で副学長を務め、その後、北陸大学の教授となり国際コミュニケーション学部長、副学長を務めました。
社会人の学びについて
”学び直し” ではなくて、 ”学び続ける" こと
ーーリカレント教育、リスキリングといった社会人の学び、学び直しについて桧森先生はどう考えられていますか?
社会人の学びはとても大切なことだと思いますが、”学び直し”ではないと思っています。
自分の社会人としての体験を言語化し理論化することには意味があります。
特に日本の社会では、個々人の知識が明文化されずに暗黙知であることが多いように思います。
そのため、仕事が属人的になりがちです。
ですから自分の仕事の経験をきちんと言語化して残しておく、論理的に解明しておくことで社会の役に立てる、すなわち体験がはじめて生きるのだと思います。
とするならば、決して”学び直し”なんかではなく、経験と学びの繰り返し、つまり”学び続ける”ということなのだと思うのです。
もしも実務家教員をめざすのであれば、理論を実例とともに語れることが実務家教員の強みにもなるでしょう。
社会人の学びには実利的な成果が必要
ーー日本は低学歴の国であると世界から指摘されながら、それでも社会人の学びが思うように進んでいかないのは何が原因だと思いますか?
欧米はジョブ型雇用なので、定期的に学んでジョブホッピングしないとキャリアが止まってしまいます。
欧米で社長となるには経営という職業を学ばないといけないので、MBA取得が必須です。
すなわち、必要があって大学院で学んでいるのです。
そして大学院で学位を取得すれば給料が上がる社会なのです。
そこが日本と違うところですね。
私のように趣味で大学院に進学する人もいるでしょうが、多くの社会人に学んでもらうには学んだことによる実利的な成果が必要でしょう。
例えば、学位の取得で転職が有利になったり、企業の人事の、修士や博士の学位に対する評価が変わらなければダメでしょうね。
それから大学院側は、修了者のキャリア支援の体制を整えることが必要です。
学部のキャリアサポートセクションが、ついでに大学院を支援するのではなく、大学院専門のキャリアサポートセクションが専門の支援をするのであれば、その需要は大きいと思います。
地域にある小規模私立大学の存在意義
ーー2つの大学で副学長を務めてきた先生の知見からご意見をうかがえたらと思うのですが、聖学院大学、聖学院大学大学院はこれからどのようにあるべきだと思われますか?
私が在籍した大学も同じですが、地域にある大学には地域経済を担う人材を育成するという役割があると思います。
社会が変化してきていて、地域の中小企業も、生産性を高め高付加価値化することが求められています。
地域の中小企業の社長さんがよく「良い人材さえいれば会社を大きくできるのに」と言っているのを聞きます。
これまでは大卒の人材があまり必要でない会社であったとしても、今では必要になっていることがあります。
例えば金沢にある織物の織機の部品を作っている会社があるのですが、会社が成長して、国内だけではなくて海外でのマーケットシェアを獲得しています。
そのため海外でビジネスをする必要があって、語学が堪能でビジネスを知っている人材が必要になります。
ホテルや旅館業界でもインバウンドのお客さんが爆発的に増えていて、昔ははっぴを着て駅前に立っていた従業員にも、語学力が求められるようになりました。
「できればTOEIC700点以上の人材が欲しい」ということになるわけです。
このように、伸び代はあるけれど地方に存在する中小規模の会社に、都心にある著名大手大学の学生が就職を望むかといえば、なかなかそういうことはありません。
ですから、それは北陸大学の役割であり、地域の中小規模大学が人材を担う必要があるということになるわけです。
嘉悦大学に在籍していたときには、ロータリークラブの会員となり、会合に参加して、中小企業の社長さんたちと積極的にコミュニケーションを取りながら、地域の企業のニーズを探索し続けてきました。
聖学院大学もこの近隣地域を支える中小企業で活躍が期待される、リーダー育成の役割を担うべきだと私は思いますよ。
そのためにはどのような企業があって、どんな人材が求められているのかを徹底的に認識しておく必要があるでしょう。
断らない力
ーー最後に、桧森先生の今後のビジョンをお聞かせいただけますか?
実はその質問が一番困ったなと思っていました。
大学を退職して今では年金生活ですから(笑)。
名刺の裏をご覧ください。
たくさん役割が書いてありますが、実はこれでも全部は書ききれていなくて、本当はもっと肩書きを持っています。
昔、勝間 和代さんの『断る力』という本があって、ベストセラーにもなりましたが、私には『断らない力』があると思っています。
人から何かを頼まれたときに、それが自分でできることであるならば、何でも引き受けるようにしています。
断らないことが私の方針なのです。
これからもそうしていきたいと考えており、おかげさまで毎日忙しく過ごしております。
2008年に民間企業を退職して大学教員に転身したときから私の人生のテーマは "社会貢献" ですからね。
(取材:2024年5月)
ーー 桧森先生、ありがとうございました。大学経営の参考になるお話もたくさん聞けたと思います。これからもご指導のほどよろしくお願いします。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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