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バックパッカー両親の遺伝子、海外生活で身につけた人間力|#059 鈴木 路孟さん

聖学院大学 人間福祉学科 卒業

昨年の夏に、聖学院大学で卒業生の古庄ダリオ聡志さんの取材をしました。
たまたまダリオさんと会っていたということで、取材に一緒に来てくれた鈴木路孟(すずき みちたけ)さんはダリオさんの同級生で、軽音楽部の仲間。

「スーさん(鈴木さん)も面白い経歴を持っているんですよ。」とダリオさんにオススメされて、話を聞いてみると、ワーキングホリデー制度で海外で長く暮らし、現在は日本に戻ってきて、都内で飲食店を経営する会社で企画広報を担当しているといいます。
なるほどとても興味深い経歴なので、落ち着いたらあらためて取材をさせていただく約束をしました。

「そろそろ、どうですか?」と打診をしたところ、「3月を過ぎれば時間が取れると思います」というので、さっそくお話をうかがってきました。

ダリオさん取材のときのワンショット

↓ダリオさんの記事はこちら




現在の仕事は主に広報ツールの制作

ーー私も広報なので鈴木さんのお仕事にとても興味があります。
どのようなお仕事をされているかうかがえますか?

僕は今、沖縄でネイル、アイラッシュサロンの店舗を経営する(株)Bianca WESTと、ここ神楽坂や代々木などで飲食店やエステサロンなどを経営する(株)IMYを擁するビーシスグループの本部で、企画広報の仕事を担当しています。

企画広報は僕ともう1人、2人で担当していますが、僕はマーケティングや広告・宣伝業務も兼ねた広報で、もう1人は広報と総務を兼任しています。

神楽坂に1363という店名のオシャレなカフェ&ダイナーがあるのですが、本当は、僕はそこでバリスタをやりたくて店舗スタッフとして応募したんです。

代表(代表取締役 稲垣恵美さん)が僕の面接をしたときに、「鈴木さんは飲食向きじゃないよね」と言うので、「ああ、落ちたな」と思いました。
ところが店舗ではなくて本部で採用してもらったため、こうして今ここにいるわけです。

具体的にどんなことをしているかといえば、インスタグラム用の動画を制作したり、雑誌の広告のデザインをしたりと、広報ツールの制作がメインの仕事となっています。

昨年は代々木のちゃんぽんのお店で、現場にも出ていたので、そのお店のメニューや制作物も僕が担当しています。

僕は映像を作ることがもともと好きで、YouTube動画を作っていた時期がありました。
そうした経験を活かして、インスタ用のシネマティックな動画作りなどをしています。
また、YouTube動画の新企画も動き出していて、現在は、その制作に取りかかっているところです。

広報として、伝えるべきことを言葉で明確に表現すべきときはもちろんありますが、視る人に評価や判断を委ねる自由さが必要なときがあります。
お客様は人やサービスを、機能や効果だけで合理的に選ぶだけではなく、直感的、感情的に好き嫌いで選ぶことも多いからです。
ロジカルではなくエモーショナルなアプローチに、シネマティックな動画は適していると考えています。

僕の今の課題といえばスピードですね。
広報ツールはAdobeのイラストレーターかcanvaで作っているのですが、僕はAdobe派で、canvaは少々苦手です。
canvaはテンプレートが多く、うまく使いこなせれば制作業務のスピードが上がるので、スキルを磨く必要があると感じています。


B★SISUのロゴマークと一緒に



ワーキング・ホリデー制度に出会う

ーー大学を卒業されてから現在までの経緯をお話しいただけますか?

大学を2015年に卒業して、丸1年フリーターをしていました。
大学では軽音楽部に所属していたのですが、プロデビューをめざして、就職しないでバンド活動をしていたんです。

どうやって売れるのか?という音楽業界の商流はかなり勉強しました。
「いい音楽をつくれば売れるわけではない」と認識していたからです。

そして、いい音楽をつくるのはバンドのボーカルの役割で、それを売り込むのが自分の役割だと考えていました。

1年が経過しても夢は遠く、悩んだ挙句に曲作りに専念するという理由でバンド活動をいったん休止しました。

それから僕は、家電の配送業者で働きました。
力仕事なので肉体的には楽ではなかったですが、程よく忙しくて、余計なことを考えることがなくて楽しかったです。

その頃、ダリオくんとたまたま飲みに行ったことがあったんです。
「スーさん、これからどーすんの?」って心配されて、「どうしようかな」と煮え切らない返事をしていたら「こんなのあるけど」と紹介されたのが、ワーキング・ホリデー制度(以下ワーホリ)でした。
それを聞いたとき「これだ!」と思いました。
海外で働けるため、留学のようにたくさんの費用は必要なく、しかも英語を勉強できるので、今の自分がしたいことにピッタリだと思ったわけです。

バックパッカーの両親の遺伝子

実は僕の両親は2人ともバックパッカーでした。
母親はアパルトヘイト政策の状況を自分の目で見てみたいと言って、南アフリカを旅していたことがありますし、父親は自転車が好きなので、フランスに行き、自転車でヨーロッパを横断したり、アメリカに住んでいたこともありました。
父親はお酒を飲むたびに僕にそんな話をするので、子どもの頃から何度も聞かされていました。
「もうわかったよ、その話」と口では言いながら、心のどこかで憧れの気持ちが芽生えていました。

ワーホリで海外に行きたいと両親に相談したときは、そんな両親ですからもちろん反対されることはありませんでした。
それどころか、父親には「やっとか」と言われました。

僕が両親と同じような体験をしたいと思うのを心待ちにしていたようです。

ワーホリの準備として、フィリピンで2ヶ月間の短期語学留学をしました。
この留学のときは、おそらく今までの自分の人生の中で一番勉強した時期だったと思います。

ワーホリを活用して、結局、オーストラリアに2年、ニュージーランドに2年半滞在しました。

向こうでは、フルーツ農場で働いたり、飲食店で働いたり、様々な仕事を経験しました。
日本人がいる職場も多いのですが、「ローカル」と呼ばれる日本人のまったくいない場所での仕事もいくつか経験しました。

オーストラリア時代から友だちとYouTubeの撮影と編集をはじめました。
このときの経験が現在の仕事に役立っています。

ニュージーランドのタウポという街にいたときは、住居がなく、車で放浪していました。
キャンプ場を経営しているファミリーと知り合って、キャンプ場の仕事を手伝う代わりに、食事とテントを張れるエリアを提供してもらいました。

この頃が一番楽しくて、そして学びが多かった時期だと思っています。

そして、2020年に帰国して、いったん別の会社で半年ほど働いて、そして縁があって現在の会社にお世話になっています。

僕は、いつかもう一度ニュージーランドに戻りたいと思っています。
バリスタや飲食店での調理の経験を持っていれば、ニュージーランドで職を得ることができるだろうと考えて、1363というカフェ&ダイナーの店舗スタッフに応募したことから現在の仕事へとつながっています。


東日本大震災の年に入学、ボランティアツアーに参加

ーー大学時代の思い出をお聞かせください?

実は僕、震災復興支援ボランティアSAVE(Seigakuin All Volunteer Effort)の立ち上げ期のボランティアツアーに参加しているんです。

大学に入学したのが東日本大震災があった2011年なのですが、震災のために学校開始が1ヶ月遅れました。

その期間に僕は、1人で自転車で女川にボランティアに行きました。
当時はボランティアという言葉の意味さえよく知らなかったのですが、自分ができることで何か手助けになればと思って衝動的に被災地へ赴きました。

入学してから、その話がどこからか伝わったらしく、SAVEの立ち上げに声をかけてもらいました。

実は今、その2回のボランティアの記憶がほとんど残っていなくて、誰かと話しているところとか、いくつかのシーンを断片的に思い出せるだけなんです。
多分、相当ショックだったのだと思います。


それから、大学時代の思い出といえば、やはり軽音部ですね。

ヴェリタス祭(大学祭)では体育館や屋外でステージに立ちました。
大学以外では、僕たちの時代の軽音部は沼袋のSANCTUARYというライブハウスを拠点に活動していました。
それから、千葉商科大学や芝浦工業大学など、いくつかの大学と交流校となっていたのですが、年に数回の合同ライブを開催していました。
僕も数ヶ月に一度くらいステージに立っていたと思います。

ダリオくんの記事の中にエフェクター制作の話がありましたが、僕も音作りに凝っていて、ダリオくんにエフェクターを作ってもらったことがあります。


両親をアメリカに連れて行って通訳をしたい

ーーこれからの鈴木さんのやりたいこと、ビジョンを教えてください。

短期的なビジョンを話すと、今はやはり仕事ですね。
スピードとクオリティを上げなくてはと思っています。

それから、ブランディングについてもきちんと学びたいですね。

中長期のビジョンを言うならば、
結婚もしたいと思っているし、子どもも欲しいので、それは老後の話になるかも知れないし、単なる旅行になるかも知れませんが、もう一度、ニュージーランドには行きたいと思っています。

ニュージーランドは僕にとって特別な場所だということが、空港を降りてすぐにわかりました。
文化が自分に合っているというのか、自分にとっての「正解を見つけてしまった」という感じなんです。

僕は父親を一番尊敬していて、父親を超えないと自分が親にはなれないとも思っています。

両親はトータルで10年、15年と海外で暮らしているのですが、にも関わらず英語がしゃべれないんです。

両親をアメリカに連れて行って僕が通訳をしたいというのが、僕が英語を勉強したモチベーションであり、まだ実現していないビジョンの一つでもあります。(取材:2024年4月)


ーー鈴木さん、とても素敵なご両親とのエピソードですね。 楽しいお話ありがとうございました。

●鈴木 路孟(すずき みちたけ)さんプロフィール
聖学院大学 人間福祉学部 人間福祉学科卒業
ビーシスグループ 株式会社Bianca WEST 株式会社IMY 勤務 企画広報
趣味:料理、睡眠、音楽
大学在学中は軽音楽部に所属、バンドではベースギターを担当
所属ゼミは田村綾子ゼミ

「誰一人取り残さない」世界の実現を目指して
聖学院は教育で社会に貢献しています


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