すべての子どもに、「教育の機会」を。|#030 伊沢 早織さん
聖学院小学校 女子聖学院中学校・高等学校 卒業
高輪のユニセフハウスにおうかがいしました
すべての子どもに、_________を。
あなたなら空白部分にどんな言葉を入れますか?
今回は、日本ユニセフ協会に勤務されている、聖学院小学校と女子聖学院中高の卒業生、伊沢早織さんを取材させていただきました。
ーー下調べしないでおうかがいしてしまったのですが、たいへん興味深いオフィスですね
はい、実は2022年10月にリニューアルオープンしたばかりなんです。
ユニセフハウスという名称で、1階と2階がインタラクティブな展示スペースとなっていまして、ユニセフの活動や、世界の子どもたちの現状を学ぶことができます。
学校の授業の一環としてなど、たくさんの方にご来館いただいています。
ーーこちらで伊沢さんは具体的にはどのようなお仕事をされているのですか?
私は学校事業部に勤務しておりまして、主には、学校向けにユニセフの活動や世界の現状を伝えるための資料作りを行っています。
また、資料の作成だけではなくて、実際に学校へ行って授業をすることもあります。
私は日本ユニセフ協会に入職して3年目ですが、直接訪問した学校にオンラインも含めると、今までに10数校の授業を担当させてもらいました。
ーー授業を行なってきて、印象に残っていることはありますか?
そうですね。
毎日あたりまえにあることが、そうではない、と子どもたちに気づいてもらえたときでしょうか。
日本では、食べ物も十分にありますし、また、蛇口をひねればお水も出てくると思います。
その状況の中で、世界の子どもたちの状況を身近に感じることは難しいと思うのですが、私の授業を通して、子どもたちから
「毎日の食事に感謝することを忘れずに過ごそうと思った」
「自分も世界の子どもたちのために、何か行動したいと思った!」
「ユニセフの活動に興味をもちました」
などといった感想が返ってくると、私の授業が伝わっていることを実感できて本当にうれしく思います。
仕事場として日本ユニセフ協会を選んだわけ
ーーユニセフとの出会いと、日本ユニセフ協会で働くことになった経緯をお聞かせいただけますか?
初めてユニセフを知ったのは、小学生のときです。
カレンダーを自作して、そのカレンダーを販売して売上金額をユニセフに募金するというユニセフカレンダー募金の企画に参加したことがユニセフとの最初の出会いだったと記憶しています。
カレンダー募金は友だちのお母さんから教えてもらって、友だちと一緒に参加しました。
でも、当時はユニセフと日本ユニセフ協会との区別もついていない状態でした。
小学生のとき、現地の子どもたちと交流する短期の海外プログラムに参加しました。
最初は母親から勧められたので参加したのですが、それがとても楽しかったので、中高生のときも同様のプログラムに参加しました。
思えば、これがきっかけで私の中で国際への興味が根付いたのだと思います。
そのため、国際協力の業界で働きたいということは早いうちから心に決めていたのですが、きちんと就職先として日本ユニセフ協会を意識するようになったのは、大学院で就職活動をした頃からだと思います。
私の働く動機には困っている人を助けたいという思いがあります。
ユニセフは、ジェンダーの区別なく全ての子どもたちに質の高い教育を提供すること、あらゆる種類の差別と不公平を撤廃することに重点を置いて、教育支援を届けていますが、私も、子どもたちにとっての教育の重要性を強く感じているので、そこに共感しました。
聖学院はいつでも戻って来られる場所だと思っています
ーー 聖学院での思い出を聞かせてください
聖学院小学校でも、女子聖学院中高でも、楽しい思い出しかなくて、何からお話をしたらよいか迷います。
私はダンスやテニスが趣味で、最近ではクロスフィットにはまっています。
昔から身体を動かすことが好きだったんですね。
聖小ではバトンクラブに所属していて、バトンクラブのメンバーたちと運動会の開会式でバトン演技を披露したことを覚えています。
それから、小学校5年生のときに福島のブリティッシュヒルズへ行ったのですが、そこで当時の聖小の教頭先生だった角田芳子先生がお話してくれたことを今でも覚えています。
”みなさんはただ頭が良い人になってはいけません。
聖学院の「聖」の文字には耳という文字が含まれていますが、単に耳で聞くだけではなくて、目で対話の相手が訴えかけていることをきちんと感じ取るようにしてください。
目で感じて聞くということは、思いやりがないとできないことです。
ですから、思いやりを持ってください。”
そんな内容だったと思います。
ーー 女子聖中高の思い出は何がありますか?
女子聖では中高を通してテニス部に所属していました。
当時のテニス部の仲間とは、社会人になった今でも頻繁に会っています。
そのテニス部で仲の良かった友だちと記念祭(文化祭)に参加したことが印象に残っています。
コブクロさんの曲をハモリまで練習してみんなで歌いました。
『ワインディングロード』という曲です。
授業が終わってから放課後に、音楽の川俣先生に指導をしてもらってかなり真剣に練習しました。
それからお笑いにもチャレンジしました。
お笑いグループの超新塾さんのコントを、役割を決めて、一所懸命セリフを覚えて、完コピしてステージで披露しました。
ーー そんな楽しい思い出のある聖学院とは、伊沢さんにとってどんな存在ですか?
私にとって聖学院は、家族のような存在です。
いつでも戻って来られる場所だと思っています。
目標は、世界中の全ての子どもたちが教育を受けられるようにすること
ーー 伊沢さんが実現したいビジョンとは何ですか?
私の一番の大きな目標は、世界中の全ての子どもたちが教育を受けられるようにすることです。
日本は比較的恵まれた環境にあるので、学べることのありがたさを実感することが難しいと思います。
私たちにとってあたりまえであることが、あたりまえではない状況にいる子どもたちは世界にたくさんいます。
そのことを日本の多くの子どもたちに知ってもらいたいと思っています。
例えばアフリカのソマリアという国は5歳未満時の死亡率が非常に高い国です。
栄養不良や、不衛生な環境の中で生まれることが大きな原因です。
そうした国では生きることに精一杯で、おうちの人が子どもを学校に行かせようという概念がそもそもなかったりもします。
教育の大切さを大人にも知ってもらおうと、ユニセフは日々、支援活動を行っていますが、課題は山積みです。
ですから、私のビジョンの達成はとても困難ですが、その分やりがいがあることだと言えると思います。
今は日本国内での活動がメインなのですが、近い将来の私のビジョンを話すと、ユニセフの現地事務所など実際の現場に行って支援がしたいと強く思っています。
危険な地域も多いですし、相当な覚悟は必要だと思っています。
しかし困っている人の力になりたいというのが私の夢ですので実現させたいです。
ーー 素晴らしい夢ですね!
伊沢さんのそうした考え方はどのように育まれたのでしょう?
私の家は、父親が医師で母親が管理栄養士です。
両親とも人を助けることを仕事にしていますので、その影響はかなりあるのかなと思います。
ーー 伊沢さんのお仕事も、ご両親のお仕事も、「仕事だから」ではなく、本心で人を思うことが必要ですよね
そうでなければ、何も伝わらないし、世界は変えられないと思うのですが?
私は自分が本当に恵まれていると感じています。
小学校から中高、大学、そして大学院とあたりまえのように教育の機会を与えてもらいました。
しかし、日本ユニセフ協会で働いて、世界には小学校教育さえ受けられない子どもたちがたくさんいることにショックを受けました。
恵まれてきた私がこの仕事にめぐり合った意味を考えるならば、「すべての子どもに教育の機会を」と望み、それに向けて行動することが私の使命なのだと思います。
教育を通して、子どもたちの未来が広がってほしいと心から願っています。
(取材:2023年1月)
ーー 伊沢さんのビジョンはまさにみんなで実現させたいビジョンです。聖学院も私も応援しています。ありがとうございました。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
伊沢さんの応援、どうぞよろしくお願いします。
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