東京藝大で学ぶことは小学生のときから決めていました。|#023 川越 麻弓 さん
女子聖学院中学校・高等学校 卒業
川越さんは女子聖学院中高の卒業生で、現在は東京藝術大学の4年生。
今年(2022年)の夏休み前、教育実習のため女子聖学院中高に帰ってきていました。
その機会に、川越さんの女子聖学院時代の思い出と音楽に対する想いを取材させてもらいました。
奇跡的なユーフォニアムとの出会い
ーー 教育実習はどうでしたか?また、川越さんの現在のことについて教えてください。
3週間の教育実習期間だったのですが、経験できて本当に良かったと思っています。
先生の仕事がすごくたいへんだということがわかり、自分が生徒のときにはわからなかった先生たちの偉大さに気づきました。
私は現在、東京藝術大学 の4年生で、ユーフォニアムを専攻しています。
音楽科の教員をめざしているというわけではないのですが、女子聖学院の吹奏楽部の顧問の岡本先生に、「将来きっと何かの役に立つから」、「誰しもが誰かの先生になるのだから教職は絶対取ったほうが良い」とアドバイスされて、教職を履修しました。
卒業後は音楽家になることをめざして毎日練習しています。
8月初旬にはチェジュ国際コンクールに出場します。
ーー ユーフォニアムや音楽との出会いについてお聞かせください。
音楽との最初の出会いはピアノです。
自分がやりたかったわけではなく、両親のすすめで5歳からピアノを習いはじめました。
自分は、ピアノはあまり得意だと思っていません。
両手を別々に動かすのって本当に難しいと思います。
それでも5歳で習いはじめてからずっと続けていて、今でも弾きます。
ユーフォニアムとの出会いは小学校3年生のときです。
吹奏楽部に力を入れている小学校にたまたま通っていて、友だちに誘われて入部しました。
本当は小さい楽器、例えばフルートのような小さくて可愛らしい楽器を演奏したかったのですが、当時、楽器の名前を知らなかったため希望をきちんと伝えることができませんでした。
それで他に担当する人がいなかったのかも知れませんが、ユーフォニアムを先生にすすめられました。
でも、今はその偶然の出会いに感謝しています。
フルートなどは藝大でも専攻する人が多くて、常に誰かと競争しなくてはなりません。
あのときにユーフォニアムを選んでいなかったら藝大には入学していなかったと思います。
そういう意味では奇跡的な出会いともいえるのではないでしょうか。
ユーフォニアムの魅力はなんといってもその音色です。
プロの音楽家の方の演奏を聴いたときに、あたたかくて、やさしくて、包容力があって力強いその音色に魅せられて、自分もいつかこんな音を出せるようになりたいと思うようになりました。
ユーフォニアムの音色は力強いけれどもとても繊細で、それから一番人の声に近いともいわれています。
大切なことをたくさん教えてくれた女子聖学院中高
ーー 女子聖学院に入学したきっかけは何だったのですか?
ユーフォニアムを自分で演奏するようになって、自衛隊の音楽隊のコンサートを聴く機会がありました。
自衛隊には日本を代表するユーフォニアム奏者の外囿 祥一郎(ほかぞの しょういちろう)先生がいらっしゃって、私は一度聴いてすぐにその素晴らしい演奏の虜となりました。
それで、「私の音楽の指導をしてください」と頼みに行ったのです。
そうしたら「今は私はあなたを指導することはできないけれど、代わりに自分の弟子を紹介します」といって、染野 真澄(そめの ますみ)先生をご紹介いただきました。
そして私は、染野先生の指導を受けることになったのですが、実は染野先生が女子聖学院中高の卒業生でした。
女子聖学院ならば吹奏楽部があって毎日練習ができるから、あなたのビジョンを叶えるためにふさわしい場所なのではないかといって進学をすすめられたのが女子聖学院との最初の出会いでした。
小学6年生のときに楽器を親に買ってもらい、私はずっとこの楽器と生きていくと決めました。
音楽の先生に、「音楽で一番の大学はどこですか」と質問をしたら「東京藝大です」という答えが返ってきたので、その瞬間に私は将来、東京藝大に進学すると心に決めました。
小学生のときにすでに、将来は東京藝大で学んで、自衛隊の音楽隊に入る、という人生プランができていたのです。
着々とそのプランの実現をめざしています。
女子聖学院の運動会
ーー 女子聖学院の思い出をお話しいただけますか?
一つは運動会の思い出です。
運動会は女子聖学院を象徴する行事の一つです。
生徒が主体的に作り上げる運動会で、競技に参加するだけではなくて、準備や運営、そして審判までも生徒が行います。
赤、青、黄の色が各学年ごとに与えられ、競技はクラス対抗ではなくて学年対抗で競われます。
その学年の色は高1から3年間ずっと変わらず、卒業するときには、新高1年生に色が引き継がれます。
中学生のうちは学年対抗ではなくて色分けがなされ、高校生の指導によって競技の練習をして本番を迎えます。
中学時代に高校生の先輩方から指導方法や運営を学び、高校生になると今度は自分たちが中学生に対して同じように指導をしていきます。
学年対抗なので3年生が優勝することが順当で、実際、例年3年生が優勝していました。
ところが私たちの代は、3年生のときに優勝を逃してしまったのです。
本当に悲しくて、その夜はみんな大号泣でした。
それでも私たちは精一杯やりきったので後悔はしていません。
運動会を通して結果がすべてではないということを学んだと思います。
東京藝大受験の思い出
それから、受験の際にはすごく学校に応援してもらいました。
演奏の練習をするために、放課後は遅い時間まで学校で練習させてもらいました。
受験準備は孤独でつらい時期でした。
学校の中に、自分と同じように音楽の大学をめざしている同級生が一人もいなかったので、苦しみを分かち合うことも励まし合うこともできませんでした。
一般の大学であれば模擬試験の結果などで自分の現状を把握することができると思いますが、音楽の場合は自分がどのレベルにあるのか確認する手段がなくて、それが本当に不安でした。
辛くて寂しくて毎日泣きながら家路に向かいましたが、自分よりももっと頑張っている人がいることを想像して、それをモチベーションにして歯を食いしばり頑張りました。
両親や先生方にたくさん応援されて、しかしその応援はありがたい反面で「合格できなかったらどうしよう」というプレッシャーとなり、それに押しつぶされそうになっていたときがありました。
そんな私を救ってくれたのは佐々木 恵先生の言葉でした。
「そんなこと考えなくていいし、結果に対して誰も非難しないよ。川越さんが頑張ることが一番大事なことだから」
佐々木先生には、本当に親身になって相談にのっていただきました。
私の全部を知っていて、わかってくれている先生で、特に受験のたいへんな時期に支えてもらったことを感謝しています。
佐々木先生と出会えていなかったら、私は大事な受験を乗り越えることができなかったかも知れません。
自分の人生は音楽とともにあるので、音楽がなかったら自分はどんなふうに生きていたのだろうかと考えることがあります。
学校といえば勉強するところだと考えるのが普通ですが、勉強だけが学校という固定観念に縛られないで、当てはまらないことが普通ではないとは考えないでほしいと私は思っています。
佐々木先生をはじめ、先生が生徒を見捨てない、どんなに勉強が苦手な生徒であっても声をかけてくれて、生徒全員が理解するまで説明をしてくれます。
「誰一人取り残さない」というのが女子聖学院の良さだと思います。
自分の音楽が誰かの勇気や励みになったらと思う
ーー 最後に今後のビジョンについてお聞かせください。
演奏会で演奏した後に、拍手をもらい、こういうところが良かったと感想をいただけるととうれしくて、自分が伝えたかったことがきちんと伝わったんだなと思います。
楽曲に対する解釈は人それぞれなので、演奏中に自分以外の人の演奏を聴いて、「なるほどそういう表現があったか」と発見する場合があります。
グッとくる吹き方をしている人がいれば、それを自分も真似してみようとすることもあります。
自分一人では考えつかない、思いつかない演奏があることをいつも学んでいます。
音楽って、やればできるんです。
練習することでなんでもできます。
できないことにはできない原因があり、その原因を見つけることができれば必ずできるようになります。
努力はきっと報われると思います。
しかし一人ではできないこともあります。
自分の気持ちだけでは演奏はできません。
他者の音楽を尊重すること、意見を受け入れることは大切です。
自分以外の人の音楽を認めることで、自分の音楽が理解できることがあります。
正解が一つしかない世界ではないので、自分の思い通りに吹くことも重要です。
そういうところを多くの人に知ってもらいたいと思っています。
音楽は自分や自分の気持ちを伝える一つの手段です。
楽器の場合は言葉のように限定的な伝え方をするものではないと思います。
聴き手に解釈を委ねることもあります。
自分も今まで音楽によってたくさん励まされてきました。
これからは自分が音楽を通して、誰かに勇気や励ましを与えられる存在になりたいと思っています。
(取材:2022年 7月)
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