私の授業を受けた生徒が「数学の先生になりたい」と言ってくれたら、こんなうれしいことはありません|#022 宮 聡 さん
聖学院中学校・高等学校 卒業
聖学院の広報誌『ASF NEWS No60』では「ともに、学ぶ」をテーマに母校で教壇に立つ卒業生先生を紹介しています。
宮先生もその一人。
紙幅の都合で広報誌ではお伝えできなかった内容も追加して、note「The story of Seigakuin」でご紹介します。
天井が高かった旧校舎
ーー 在学中の聖学院のことについてお聞かせください。
「ゆったりとした、のんびりとした雰囲気」というのが私が聖学院に対して抱いているイメージです。
私が入学したときは旧校舎でしたが、高2からは校舎建て替えのために新館(現在の中学棟)とグラウンド脇に設置されたプレハブ校舎で授業を受けることになりました。
卒業式は女子聖学院中高で実施されたと記憶しています。
ですから、実は新しい校舎で授業を受けることがありませんでした。
旧校舎の教室は新校舎よりも少し小さかった気がしますが、天井は新校舎よりも高かったと思います。
天井が高かったことが「ゆったりとした」というイメージにつながっているかも知れません。
それから、当時は今以上に男性の先生が多く、しかも厳しい先生が多かったのではないかと思っています。
生徒数は今よりも多くて、おそらく1学年220名くらい在籍していました。
自分は生徒会やクラブ活動などで目立って活躍した生徒ではありませんでした。
そのため、強く印象に残っているエピソードがあるわけではないのですが、聖学院でたくさんの大切な友だちに出会えたことは一生の宝物です。
今でもつながりがあって、記念祭(文化祭)に私に会いに来てくれる同級生もいますし、コロナ禍になる前は同級生の仲間たちと、毎年会う機会を作っていました。
100点満点を取って獲得した数学への自信
ーー 宮先生は聖学院中高で数学を教えられていますが、数学の先生をめざすようになったキッカケを教えてください。
最初に先生になりたいなと思ったのは、小学4年生のときの先生との出会いがあったからだと思います。
私は地元の公立の小学校に通っていました。
時代性なのかも知れませんが、小学3年生までに出会った先生たちがたいへん厳しい先生だったので、私は苦手で、おかげで学校自体あまり好きではありませんでした。
ところが小学4年生のときに素敵な先生に出会えたことで、学校に行くことが楽しみになり、学校が好きになりました。
それ以来、将来は自分も小学校の先生になりたいと思うようになりました。
中学からは聖学院に進学しました。
高校1年生くらいまでは、ずっと小学校の先生になろうと思っていました。
しかし、調べてみると当時は小学校の先生になるための養成課程がある大学が少なく、また、ピアノや水泳などの実技も必要だったのですが、そうした実技を自分は得意ではなかったため、一時期は先生になること自体を諦めていました。
小学校時代、算数は割と好きだったのですが、中学校に進んだ当初は、突然難しくなった数学に苦戦し、すごく苦手になってしまいました。
下から数えた方が早いくらいの成績でした。
中学校は定期考査がありますが、試験のための数学の勉強も好きではなかったのだと思います。
中学2年生になると定期考査で少し点数が取れるようになり、中学3年生のときに平均点くらい得点できるようになり、さらに頑張ろうという気持ちになりました。
そして高校1年生のときに「100点満点を取る」という私的に大きなできごとがあり、数学に対する自信が固まりました。
そして、数学の先生になることを考えるようになりました。
大学には、数学の教員になるということを前提として数学科へ進学をしました。
3年生のときにゼミの指導教員から「大学院に進学をして、視野を広げてから教員になるのも良いのではないか?」と薦められて大学院に進学しました。
大学院の指導はたいへん厳しいものでした。
ゼミでは大学3、4年のとき以上に、一文ごとに論理の明確さを求められたりしました。
また、専門分野を深く研究するためには、日本語の論文だけでなく、世界の人が書いた英語の論文を読む必要が出てきます。
そして、修士論文を書くにあたって、担当の先生から英語で書くよう指示を受けました。
大学院での学びによって、学問をする上での英語の重要性を認識することになりました。
生徒が関心を持ってくれるように数学関係の書籍やテレビ番組をなるべくチェックしています
ーー 数学の面白さについてお話しいただけますか?
数学の授業での学びと、社会とのつながりが理解できないと、「数学は役に立たない」という意見になると思います。
数学と社会とのつながりの例をあげると、例えばGPSは人工衛星から発信された電波を受信して現在位置を特定するシステムですが、位置を特定するためには連立方程式が使われています。
美しさを特色とするミロのヴィーナスですが、その美しさには数学で学ぶ「黄金比」が隠されています。
また、私は社会科の歴史は苦手なのですが、数学に関しての歴史は実は大好きです。
20歳という若さにして、決闘で命を落とすことになるガロアというフランスの数学者がいました。
ガロアは若き天才であり、亡くなるまでに5次以上の解の公式は存在しないということを証明しています。
授業の中に話題を取り入れて生徒が関心を持ってくれるようにと思い、本屋さんで新しい数学書をチェックしたり、数学関係のテレビ番組はなるべく視聴するようにしています。
特に先日まで放送していた、NHKの「笑わない数学」は話題の提供の仕方がたいへん興味深かったです。
それから、私が好きな数学の本を2冊紹介します。
天才の栄光と挫折 数学者列伝
以前、NHKの人間講座という番組で、藤原正彦先生がこのタイトルで、オムニバス講義をされていました。
それを書籍化したものです。
私もたまたま見ていて、ガロア、チューリング、ラマヌジャンの人生に衝撃を受けました。
輝かしい功績を残した数学者であっても、背景には多くの挫折があったり、ものすごく意外でした。
数学の面白さを再発見した瞬間でした。
秋山仁と算数・数学 不思議探検隊
少し古い本ですが、私が高校のとき、数学を好きになって興味を持ち始めたとき、手にした本です。
「なんで0で割ってはいけないのか」「マイナスとマイナスをかけたら、なぜプラスになるのか」など、算数や数学の疑問を、やさしく説明しています。
意外と教科書に載っていないことがあって、数学の面白さを広げるきっかけになりました。
実は鉄道研究部の顧問
テレビも大好き
ーー 休日の宮先生のことを教えてください。
私は出かけることが好きで、よく旅行などに出かけています。
実は鉄道が大好きで、聖学院中学では鉄道研究部の顧問をしています。
鉄道は写真も撮りますし、乗るのも好きです。
私が鉄道好きという噂が伝わって、顧問はどうですか?と当時、生徒会の先生から声をかけていただきました。
趣味や好きなことから学ぶことも多いですが、私よりも生徒たちの方が鉄道には詳しくて、生徒からいろいろと教えてもらっています。
それから私はテレビっ子で、テレビを見ることも大好きです。
特に1980年代、1990年代のバラエティ番組や音楽番組が好きなのですが、テレビが好きすぎて、テレビ局への就職を真面目に考えたこともありました。
周りの人を背後からフォローするリーダーシップ
ーー 宮先生は中3の学年主任をされていますが、学年主任のお仕事と、これからの宮先生のビジョンをお聞かせください。
学年主任の主な仕事は担任の先生方のサポートであると私は認識しています。
一方で、学級経営に一貫性を持たせるなど、学年を統括する立場でもあり、意思決定をしなくてはなりません。
学年の方向性を決断することの重要性と責任を考えると、身体的にも精神的にもなかなかたいへんな仕事だと感じています。
「神を仰ぎ 人に仕う」の”人に仕う”の部分を特に意識しています。
在学当時、私は目立って活躍した生徒ではありませんでしたし、引っ張るタイプのリーダーシップを得意とはせず、人に仕えるタイプのリーダーシップ、すなわちサーヴァントリーダーシップ型の人間だと認識しています。
そんな自分に何ができるのかを常に考えています。
今、聖学院中高の教育は高く評価をされ、注目されはじめています。
それは素晴らしいことですが、教育手法だけに注力するのではなく、学級経営の部分にも力を入れていくべきと私は考えています。
一人ひとりの生徒の、学力面以外の面での長所に目を向けて、それを支援していけたら良いと思っています。
前述したように、私は数学の教員として、少しでも生徒たちに数学に興味を持ってもらいたいと思っていますので、私の授業を受けた生徒が「数学の先生になりたい」と言ってくれたら、こんなうれしいことはありません。
実は、2年前に聖学院を卒業した生徒が、来年、数学の教育実習にくることになっているんです。
(取材:2022年5月)
ーー 宮先生ありがとうございました。来年が楽しみですね。
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