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ガンプラ、バス釣り、料理、モノづくり系の趣味が仕事にもつながっています|#052 関 紀武さん

聖学院中学校・高等学校 卒業

聖学院中高の同窓会報である『聖学院同窓会だより』で「同窓生のお店!」を取材・連載する関 紀武(せき のりたけ)さんは聖学院中高同窓会の副会長。
卒業生の情報共有するために、以前からFacebookでつながっていましたが、関さんのタイムラインでよく見かけるのが、本格的でマニアックな「釣り」「ガンプラ」「料理」などの趣味の写真でした。
「なんて多趣味な人なんだろう、いつか取材したい」と思っていましたが、このたび、ようやくそのチャンスを得ることができました。




釣りはバスフィッシング専門です

ーー関さんとお話できることをずっと楽しみにしていました。
聞きたいことはたくさんあるのですが、まずは釣りについてうかがえますか?
かなり頻繁に行かれている気がするのですが、年間ではどのくらい行かれているんですか?

最近は、年間20日くらいでしょうか。
そんなに何十日も行けていないですよ。
Facebookに投稿するから多く見えるのかも知れません。

私は元々ブラックバス釣り専門です。
私の行きつけは千葉方面ですが、年に2、3回は長野県の野尻湖にも行きます。
バスフィッシングはルアーフィッシングなので、餌はつけません。
実は私は餌をつけるのが嫌いなんですよ。

釣り仲間に聖学院の先輩がいますが、その先輩は銀行を定年退職してから、持っていた一級船舶免許を活かして警戒船の船長をされています。
そちらの会社が、先輩の提案で釣り船を始めました。
私はその先輩に誘われてクロダイ釣りにも行くようになりました。
クロダイ釣りはとても繊細で、その繊細さがバスフィッシングの練習になるんです。

バスフィッシングの醍醐味は、推測、行動、技術、成果と一連のプロセスが自分の責任で行われることです。
魚の生態や習性を学び、動きを推察して、自分でエリアを探し、そこに正確にルアーを投げ込む。
それがうまくハマったときに釣れる。
これがたまらなく面白いんです。

どこの釣り場も釣り人のプレッシャーが相当かかっていますので、バスフィッシングは繊細で難しいんです。
独学でやっていると行き詰まるときがあります。
私はそういうときは、ちゃんと人の意見に耳を傾けるようにしています。

野尻湖では”本物の”プロフェッショナルなガイドさんを付けています。
ガイドさんに教えてもらうことで1年かけても気づかないことを学べてしまいます。
ただし、本物のスゴ腕のガイドはめったにいませんよ。

釣りをはじめたのはかれこれ30年前になります。
当時付き合っていた彼女(実はかみさんですが)の実家が茨城だったんです。
それで茨城に通っていたのですが、途中の霞ヶ浦でブラックバスが釣れると聞きました。
当時はバスフィッシングがブームで、芸能人にも人気がありました。
バスは幻の魚というイメージを持っていたので、こんなところで釣れないだろうと半信半疑だったのですが、やってみたらいきなり釣れちゃったんです。
それでハマっちゃいましたね。
それからは、彼女のところに行くついでに釣りをしているのか、釣りのついでに彼女のところに行くのかわからない感じになりました。


釣りと料理、共通するのは「作る」こと

バスフィッシングはルアーフィッシングとお話しましたが、20数年前にはルアーも製作していました。
やはり、作るということ自体が好きなんですよね。
自分が作ったルアーで魚が釣れるのはとてもうれしいです。
さらにもっとうれしいのは、私のルアーで他の人が魚を釣り上げたとき。
これは感動でしたね。


自作のルアーを触りながら


ラージマウスバス
(サイズは60に惜しくも届かず59センチ。千葉県・片倉ダムにて)
スモールマウスバス(長野県・野尻湖にて)
クロダイ(東京湾にて)
レイクトラウト(栃木県・中禅寺湖にて)


「作る」といえば料理もそうです。
私が本格的に料理を作りはじめたのは、今から12〜13年前です。
近所に安くて美味しいイタリアンのお店があって、そこに通っているうちに影響されて自分でも料理をするようになりました。

何にでもハマる性格なので、レパートリーは150種類以上、パスタだけでも30種類作れます。

家族には「お父さんはカッコつけたものを作っている」と言われます。
趣味で好きで作っていると、そう思われるんでしょうね W。

料理作りのプロセスはブログ(↓お料理ストリートジャーナル+)に書いていますが、このブログは実は自分用のレシピメモとして記録しているものです。

ルアー作りも、料理もクラフトマンシップというと言い過ぎかも知れませんが、本格的にやってしまうタイプなんです。


3歳からスタートしたプラモ歴

ーープラモデル作りの趣味について教えてもらえますか?

プラモ作りは年季が入っていますよ。

私が3歳のときに父親が作りはじめたのがきっかけです。
それから毎週日曜日に父親と赤羽の模型屋さんに通っていました。
池袋、代々木、笹塚の模型屋さんにもよく行きました。
当時、アメリカ製のプラモは高級品で、原宿のキディランドでショーケースに飾られていたのですが、今から50年前にも関わらず3,000円くらいしました。
普通のプラモが200円、300円だった時代ですから、かなり高級でした。

私が小学校低学年のときに、プラモを売っていた近所の駄菓子屋さんでプラモコンテストがあったのですが、高学年の子が色を塗って仕上げたプラモがとても眩しく見えました。
いつか自分もこんな風に作りたいと思ったことを覚えています。

中高時代は他に楽しいことがたくさんあり、大学時代はスキーにハマっていたのでプラモ作りから離れてしまった時代が続きました。
とはいえ、買うのだけは、定期的に買い続けていました。
コレクターなんですよね、根が。

今から15年くらい前から、少しずつプラモ作りを再開したのですが、当時、作らずに箱に入ったままのプラモが家に1,000個ほどありました。

プラモ作りを再開したときには塗料や接着剤などの材料が格段によくなっていたので驚きました。
以前は塗料は、薄い色から濃い色へと塗り重ねていたのですが、最近の塗料は隠ぺい力が高いため、黒、赤、黄、白という順に塗ってもキレイに発色するので、ミスしたときのフォローが簡単にできるようになったんです。

ここ5年間で70個くらいプラモを完成させています。
置き場所ですが、30数年前に家を立て替えたときに、大型の棚を設置したのが効いていますよ。
それでも置くところがなくなってしまい、やはり聖学院の卒業生で、歯の治療でうちの家族一同がお世話になっている、腕が良い歯医者さんの、待合室にも置かせてもらっています。

プラモ作りの良さを語るならば、自分の時間の大切さを感じられるところだと思います。
一人になれることで、いろいろなことを考えることができます。
日常から離れてみる時間って必要なのではないでしょうか。
あっ、これは釣りも一緒ですね!


コロナ禍でやってきた、望まないガンプラブーム

趣味というものは自分だけの世界で良いと思っています。
エヴァンゲリオン的にいえば「人それぞれが持つ心の壁(ATフィールド)」なのです。
だから、他人に馬鹿にされるくらいの方が丁度いいと思っています。
その方が自分の世界を自由に行き来できます。
人の評価は関係ありません。

プラモなどは、一般人の常識からずっと『子どものおもちゃ』と見なされていました。
ところがコロナ禍で、みんな家にいる時間が多くなったので、急に注目されてしまいました。
その結果、今まで簡単に買うことができたガンプラ(ガンダムのプラモデル)を購入するのが困難になったばかりか、転売ヤーによって価格まで吊り上げられてしまったのです。
ひどいときなど、塗料や接着剤まで品切れになっていました。
にわかプラモファンではなくて昔からプラモを作ってきた我々からすると、本当に馬鹿らしい状況だと思います。


趣味の感覚は仕事に結びつくもの

ーー関さんのそうした趣味たちは、仕事にも役に立っていますか?

私の趣味は、プラモも、料理も、バスフィッシングも、自分で何かを作るというところで共通しています。
おそらく方向性は同じなんです。
頭だけではなくて手を動かして工夫をする。
これは私にとって楽しみであるとともに、課題の解決にもつながっていきます。

私は印刷会社を経営していますが、ご存知の通りデジタル技術の進歩は凄まじいですから、紙媒体への印刷だけではなくて、さまざまな業務を手がけていかなくてはならない時代です。

例えばアクリルや金属を使ったマスコットやグッズの製作をしているのですが、これは頼まれてもいないのに、こちらから試作品を持ち込んで「こんなもの作ってみたけど」と提案をして、それが気に入られて商品化されたものがほとんどです。

偏見を持ったり視野を狭くして、日常の仕事だけをこなしているだけなら、こういう発想は浮かばないでしょうね。
常にアンテナを立てて街を歩き、東急ハンズや銀座の伊東屋など頻繁に立ち寄っています。
文具やグッズが好きだということはもちろんあるのですが、自分の趣味の感覚や、遊び心が仕事に活かされているんじゃないですかね。

関さんが提案して商品化されたグッズ


学校に行かない夏休みがつまらなかった

ーー聖学院中高時代のお話をうかがえますか?

小学校は地元の公立の学校だったのですが、ルールや先生の振る舞いなど、納得の行かない理不尽なことばかりでした。
それが聖学院中高に入学してみたら、理不尽なことをいう先生がいなくて、本当に居心地の良い場所だなと思いました。

学校が楽しすぎたので、学校に行かない夏休みがつまらなくて仕方がありませんでした。
部活動をやっていたら良かったんですけどね。
今はこれだけ趣味が多いのに、なぜ在学中に部活動をやらなかったのか自分でも不思議です。

それから、やたら歩かせる学校だったなという印象があります。
『歩く会』という学校行事があって、飯能の山の中や、三浦半島などを歩きました。
中学1年の夏期学校では尾瀬湿原を2日間歩き続けました。

さらに当時、「本州縦断徒歩リレー」という参加希望者を募った行事があって、中学生は2日間で60キロ、高校生は3日間で90キロ歩きました。
私が中3のときには距離の計測間違いで2日間で80キロ(フルマラソンの距離を2日間連続!)歩かされて、当時は「何だよ!」と思いましたが、結果的には自分の限界を見ることができましたし、良い経験だったなと思っています。
体力的にも精神的にもかなり自信がつきました。

私は何もないところから何かを作ることが好きなのですが、モノづくりだけでなく企画も同じです。
そういう意味では記念祭(文化祭)は楽しかったですね。

大人になっても文化祭を作り上げるのと同じ感覚で、業界団体のイベントをプロデュースしてたり、地元のお祭りで盛り上がったりしています。
どんなイベントでも準備はたいへんなのですが、本番だけでなく準備から参加してもらえるように、楽しみながら、みんなを巻き込んでいくということを心がけています。


ーー最後に120周年を迎えた聖学院にメッセージをお願いできますか?

今の聖学院の生徒たちを見ていると、ビジョンをしっかり持っている子が多いという印象があります。
みつばちプロジェクトで活躍する生徒などは、社会とのつながりを積極的に模索しようとしていますよね。

昔から自由な校風の聖学院ですが、勉学のみならず、さまざまなプロジェクトを通して、失敗を恐れずに、自分の信じる道を進んでください。
失敗しても相談にのってくれたり、助けてくれる先生は昔からたくさんいますよ。
(取材:2023年11月)

ーー 本当に楽しいお話をありがとうございました。これからも聖学院をよろしくお願いいたします。


《関紀武 プラモコレクション フォトギャラリー》


シャア専用ザク㈼
(機動戦士ガンダム)
Hi-νガンダム
(機動戦士ガンダム・ベルトーチカチルドレン)
ナイチンゲール
(機動戦士ガンダム・ベルトーチカチルドレン)
ガンダムGP02Aサイサリス
(機動戦士ガンダム・0083スターダストメモリー)
クスィーガンダム
(機動戦士ガンダム・閃光のハサウェイ)
ミレニアムファルコン
(スターウォーズ)
スレイブ1
(スターウォーズ)
Y-WING
(スターウォーズ)
タイガーシャーク
(エリア88)
クラブガンナー
(太陽の牙ダグラム)
メルジーネ
(マシーネンクリーガー)
ホーク1号(ウルトラセブン)


《関紀武 料理 フォトギャラリー》


アマトリチャーナ
ボロネーゼのリガトーニ
モッツレラチーズと生ハムのパスタ
ビーフシチュー
ハンバーグ
キエフカツ、付け合せはカポナータ
チキンソテイ
串カツ
牛筋煮込み
ポークソテイ
メンチカツ


油淋鶏
釣りに持って行くお弁当。もちろん自分で作っています!
これは牛のスタミナ焼きとかき揚げの天ぷらで
ボリュームたっぷりのお弁当
これも釣り場に持って行ったお弁当ですが、
洒落た容器を使うと食べるときのワクワク感もアップします


●関 紀武(せき のりたけ)さんプロフィール
文明堂印刷株式会社 代表取締役
聖学院中高 卒業(78回生)
明治学院大学 経済学部 卒業
聖学院中学校・高等学校同窓会 副会長
趣味:釣り、料理、プラモデル作り
ブログ:お料理ストリートジャーナル+


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