「子どもは自ら育つ存在である」を信じた保育を実践|#068 谷島 直樹さん
聖学院大学 児童学科 卒業
聖学院大学にはゲスト講師の講義など多彩なプログラムで構成されるアセンブリーアワー※という時間があります。
9月25日(水)のアセンブリーアワーは、子ども教育学科の学生を対象として、聖学院大学の卒業生で現在は札幌の認定こども園「おかだまのもり」の園長を務める谷島 直樹(やじま なおき)さんの講演が行われました。
祖父、父と2代にわたり下水道関係の会社を経営する家庭に生まれ、3代目社長となる将来を期待されていた谷島さんは、家業を継ごうと工業高校に行きましたが、幼児教育に強い興味を持ち、AO推薦(現・総合選抜)で聖学院大学の児童学科に入学しました。
そして、在学中のオーストラリア、フリンダース大学への2回の短期留学経験が、谷島さんの人生計画を大きく変えるターニングポイントとなりました。
大学卒業後、社会人を経て大学院へ進学、保育士として勤務した後、30歳のときにニュージーランドへ渡ります。
ニュージーランドの幼稚園で勤務するために必要な教員資格の取得をめざしますが、あまり得意ではなかった英語に足を引っ張られて、なかなかうまくいきませんでした。
それでもなんとか3年越しで教員免許を取得。
ニュージーランドの保育園、小学校、幼稚園で勤務をし、「子どもは自ら育つ存在である」という考え方に共感し、「遊びから学ぶ」プレイベースドカリキュラムの手法に触れ、ニュージーランドの特徴的な教育カリキュラムであるテ・ファーリキに魅了され、そして現在は、それを活かした保育を日本で実践しています。
講演で語られた谷島さんの半生と、ニュージーランドの子ども教育に興味を抱き、さらに谷島さんのお話をうかがうことにしました。
ニュージーランドのナショナルカリキュラム「テ・ファーリキ」
テ・ファーリキは1996年に教育省より交付されたニュージーランドの国内初のナショナルカリキュラムで、日本でいう保育所保育指針や幼稚園教諭要領、幼保連携型認定こども園教育・保育要領などにあたるものです。
テ・ファーリキの「ファーリキ」とは、マオリ(ニュージーランドの先住民族)や南太平洋諸国の文化にある、亜麻の葉で1枚1枚丁寧に交互に編み上げて作る伝統的なマットのことを言います。
実践の指標となる「5つの要素」
要素① ウェルビーイング(Wellbeing)/マナ・アトゥア
心身の健康、安全、セルフケア、基本的生活習慣、精神衛生、幸福感など、人間が生きるうえでの基礎となる重要な要素
要素② 所属感(Belonging)/マナ・フェヌア
その場所が好きになること、安心できること、居場所があると感じること
要素③ 貢献(Contribution)/マナ・タンガタ
子どもたちの学びの機会は公平で、それぞれの子どもの学びには価値がある
子どもが自らの動機で行っていることはすべて学びであり、貢献である
要素④ コミュニケーション(Communication)/マナ・レオ
言葉とアイデンティティは密接に関係
子どもやその家族がもつ文化で使われている言語を尊重する
要素⑤ 探求(Exploration)/マナ・アオトゥロア
「遊びを通して学ぶ」とは、なにかをすること、問いを立てること、他者とかかわりあうこと、物事がどのように機能するかについて考えること、計画すること、工夫すること、それらを試すこと、資源を意図的に利用すること
生涯を通して探求していくこの世界や、ライフロングラーナーとしての自分自身への姿勢と期待を発達させる基盤になる
5つの要素を支える4つの原則
原則① マナの概念、エンパワーメント
存在の肯定
子どもがエンパワーメントされる保育環境では、すべての子どもが自分のマナ(マオリ語で魂や気に近い意味)を認識してエンパワーする経験ができる
原則② 全体的発達(Holistic development)/コタヒタンガ
人間の発達は、知覚的、身体的、感情的、精神世界的、社会的、文化的な発達の次元があり、互いに深く関係しあっており、子どもには、これらの次元での発達を全方位的に成長させることが可能な、広範囲にわたる豊かなカリキュラムが必要であり、保育者は、特定の学びの領域にフォーカスするときにも、ほかの発達領域や学びの側面とどのように関係し、子ども自身の強み(個性)を育てるかについて考慮する
原則③ 家族と地域(Family and Community)
子どもの学びと発達に最適な環境は、子どものもつ文化、知識、所属するコミュニティがきちんと認識され、尊重されていると子ども自身が感じられる環境である
原則④ 関係(Relationships)
「学び」は人、場所、物との関係を通して子どもが自分のもっている知識やアイデアを試し、自分のいるこの世界のしくみを理解していくことである
出所:谷島直樹 著「ニュージーランドの保育園で働いてみた」(2022, ひとなる書房)
一人ひとりの個性を尊重し、信頼して「自ら育つ」をエンパワーメントするカリキュラム
ーー谷島さんの講演と著書からニュージーランドの子ども教育に対してとても興味が湧きました。テ・ファーリキには、語るべき特徴が多々あると思いますが、特にポイントを絞るとすれば、谷島さんならばどのように説明されますか?
ニュージーランドという国家や社会は、主にマオリ族とイギリス系移民などの異なる文化を持つ人たちによって作られた歴史があります。
そうした二文化主義を十分に理解した上で、それを前提とした多文化主義の理念に基づいているという点があげられます。
それが1つ目のポイントです。
2つ目はエンパワーメントです。
テ・ファーリキはエンパワーメントカリキュラムであると言えます。
子どもが自ら持つ力を発揮するためにテ・ファーリキのカリキュラムが考案され、5つの要素と、それを支える4つの原則が明示されました。(上記参照)
多文化社会の中では、単一のモノサシや均質な価値観で物事を捉え切ることはできません。
異なった価値観や文化を背景にした子どもたちのそれぞれ違った個性を一人ひとり尊重して、誰もが力を発揮できるように教育環境をデザインすることが重要です。
「子どもは有能で自ら育つ存在である」と信じる” 信頼モデル” を基本として、保育の実践が行われ、記録の手法が生まれているというのがテ・ファーリキの一番の特色であると僕は考えています。
おかだまのもりの園長に
ーーニュージーランドで幼稚園教員だった谷島さんが、札幌の認定こども園で園長に就任するに至った経緯を教えてください
僕は現在、学校法人 清明学園が運営する札幌にある「おかだまのもり」という幼保連携型認定子ども園の園長として働いています。
清明学園はおかだまのもりを含めて5つの園を運営しているのですが、その1つにKauri Learners Early Educationというニュージーランドの園があります。
その園に、清明学園の理事長が視察に来られたことがありました。
5つの園の中のまた別の園の園長がたまたま僕の講演を聴いてくれたことがあり、僕のことを好意的に評価してくれていたんですね。
その園長が、「ニュージランドに行くのであれば谷島さんと会ってみてはどうか」と理事長に薦めてくれて、面談を取り持ってくれたことがおかだまのもりで働くきっかけとなり、現在に至っています。
理事長と会って、おかだまのもりをはじめ、清明学園の園の保育、教育方針や手法をうかがって、「とても先駆的なことをしているな」というのが正直な感想でした。
そして理事長から、園長としておかだまのもりで働かないかい?とオファーをもらいました。
これまでに僕は、マネジメントの経験はまったくなく、また、北海道に行ったことも一度もありませんでした。
しかし、おかだまのもりの保育への考え方に共感し、その仕事内容にとても魅力を感じたため、よろこんで引き受けることにしました。
おかだまのもりとテ・ファーリキの共通点
おかだまのもりのユニークな保育手法として "コーナー保育" があります。
一般的な幼稚園、保育園が実施する コーナー保育といえば、クラスの中に設置されるのが通常です。
1つのクラスを担当する教員は限定的なので、自分が得意としないコーナーを担当する場合に、そのコーナーは魅力的になりません。
例えば絵が得意でない僕が絵を描くコーナーを担当するのでは、本当には、子どもたちの絵の才能を引き伸ばすことはできないかも知れないと思っています。
おかだまのもりは「園庭」「つくろうコーナー」「えほんコーナー」「おうちコーナー」「ホールコーナー」といったコーナーを設定して、それぞれのコーナーをローテーションで何名かの教員が担当しています。
コーナーのジャンルを得意な先生が担当することが多く、子どもたちとそうした教員との出会いは、子どもたちの将来にとってとても大切なものとなります。
子どもたちは、いくつかのコーナーの中から、自分のやりたいことを自ら探して遊びます。
同年齢が集められたクラス制ではなくて、異年齢の子どもたちが一緒に過ごす保育スタイルなので、たとえ教員との出会いがなかったとしても、共通のテーマに興味を示す年上の子どもたちとの出会いがあり、そこからダイナミクスが生まれてくることがあります。
ニュージーランドのテ・ファーリキには ”プレイベースドカリキュラム" というものがあり、その根底には「子どもは遊びから学ぶもの」という考え方があります。
この考え方は、おかだまのもりのコーナー保育にも共通しています。
「子どもは自分で好きなことを見つけて自分で育つ」という考え方が徹底的に支持されていて、そこにとても共感をしたことが、僕がおかだまのもりの園長を二つ返事で引き受けた大きな理由でもあります。
記録方法の改善 ラーニングストーリーの導入
コーナー保育はニュージーランドの教育と理念的に共通するものでありますが、おかだまのもりや清明学園の園で取り入れらている独自の保育手法で、僕がニュージーランドから持ち込んだものではありません。
僕が園長になってやり方を変えたことは記録の取り方と内容です。
3つありますが、1つは日常で書いている記録の項目を変更しました。
今までのものが、大人が考えた目標に対して子どもを導いていくという、トップダウン的な書き方になり易いからというのがその理由です。
そうではなくて、現在の子どもの姿から今後の保育の計画ができるように、という考えをもって、特に週案の書き方を変更しました。
テ・ファーリキでは、アセスメントがあって、計画があって、という繰り返しで、遠い先ばかりを見て計画されてはいません。
その考え方を参考にしています。
2つ目の変更は保護者への発信の仕方です。
以前は毎月のお便りによるコミュニケーションが中心だったのですが、それでは子ども個人の顔が見えてこないのではないかという先生たちからの意見がありました。
月一回くらいのお便りではライブ感もなく、家庭とのつながりが希薄になる感じがあります。
そこで、もっと手軽な、メールなどを活用した、頻度の高いドキュメンテーションに変更をしました。
おかだまのもりでは教員が一人一台iPadを持っているので、アプリを導入するなどして、技術的なサポートもしています。
そして3つ目は "ラーニングストーリー" の導入です。
ラーニングストーリーとは、子どもの、園での様子を記録するアセスメントであり、保護者と保育者の間で共有するコミュニケーションツールであり、子どもが自分の学びを振り返るための成長記録です。
ニュージーランドでも実はテ・ファーリキが制定される以前はチェックリスト的なものを使っていました。
チェックリストは他者や平均と比較して、子どもの能力を相対的に評価するものです。
それは関係者以外は見ることができない趣旨のものであり、場合によっては本人が見ることが辛い内容さえあります。
一方のラーニングストーリーは保護者とのコミュニケーション、子ども本人のエンパワーメントはもちろん、教員の視点の拡大や能力アップの点で効果があります。
「子どもは自ら学ぶ力がある」と信じる理念を持ち、プレイベースドカリキュラムと近いコンセプトを持つコーナー保育の手法を取り入れているおかだまのもりでは、記録もやはりテ・ファーリキに倣ったラーニングストーリーにすべきではないかと考えて、導入を提案しました。
これらの記録に関する変更は効果があがっていると思います。
ラーニングストーリーについては、もちろんメリットは多いのですが、教員の業務量がアップしてしまう点に多少の課題を感じていて、その解決策を考えているところです。
多文化共生、異文化理解とどのように向き合うべきか
ーーテ・ファーリキを日本の幼稚園、保育園に導入するとしたら、どのようなことが障害になると思いますか?
また、現在の日本の幼児教育、保育の課題とはどのようなものだと思いますか?
先ほどもお話しした通り、テ・ファーリキはマオリ族とイギリス系移民の2つの異なる文化からなる二文化主義に合わせて作られた、ニュージーランド向けの教育カリキュラムです。
そのため、多様性の少ない日本の幼稚園、保育園にそのまま導入することは困難でありますし、むしろすべきではないと思います。
日本語を使うことで生まれる思考と、英語を使うことで生まれる思考には違いがあります。
同じことやものを表す単語でも、日本語と英語とではニュアンスやイメージが変わります。
例えば「保育」と「Education」では印象が違いますし、日本語の「もったいない」を英訳すれば「Don't waste」なのですが、「もったいない」には「Don't waste」では表現しきれないたくさんの意味が含まれています。
テ・ファーリキをそのまま導入するならば言葉の違いから、ミスマッチが起こることもあるのではないかと思っています。
日本の幼稚園、保育園の課題というより、ニュージーランドの幼稚園、保育園を日本と比較してニュージーランドの長所をあげるとすれば、様々な考え方の人がいるからこそ様々なアプローチができるということがあげられます。
ニュージーランドでは、教員の見た目も文化も全然違うわけです。
文化が違うから意見も違うし、特性も強みも違う中で、多様性を受け入れて対等に向き合っているところが素晴らしいと思います。
聞いた話ではありますが、日本では日本語が堪能でなければ基本的には教員になることができないと言います。
そして、日本で外国人の教員が働いていたとしても、サポートの業務が主な役割になっているようです。
その柔軟性のなさが一つの日本の課題なのではないかと思っています。
子どもたちが、日本の中で、日本人だけで生活していくということを前提にしているのであればそれでも良いのだと思いますが、将来、世界で活躍したいと思う子どもたちはたくさんいるでしょう。
グローバル化はどんどん進み、世界の境界はなくなっていきます。
日本人が伝統や日本的な考え方を大切にしているように、それぞれの国の人たちがそれぞれの国の文化や宗教、考え方を大切にしています。
クリスマスをお祝いする文化ではない国の人もいるので、クリスマス会ではなくて年末パーティーにするといった、様々な人がいることが前提の、イベントのあり方を大切にした方が良いのではないかとも思っています。
すなわち、多文化共生を進めるのであれば、教員の柔軟性やカルチュラルコンピテンシーをもっと高めていく必要があるということです。
日本の外に出てみて感じたことですが、海外から移住する人たちにとって日本は様々な障壁が多くて、苦労する点が多いのではないかと感じています。
運転免許をはじめ、いろいろな資格を取得するのにはとても面倒な手続きが必要です。
日本人にしか適用できない日本のルールを外国人に無理やり適用させようとしているように感じます。
日本人がやさしくないということではないのですが、日本の政策や制度は外国人や多様性に対して寛容ではなく、やさしくありません。
「外国人と一緒に住む」という想像力の欠如を感じます。
しかし一方で同じ価値観や文化を持つことによるメリットがあります。
外国の方が日本を訪れると、町のゴミの少なさ、学校の中のゴミの少なさにとても驚かれます。
たとえ町や学校にゴミ箱がなかったとしても、日本人は簡単にポイ捨てしたりはしません。
家に持ち帰って捨てるという習慣が身についているのです。
それは日本人ならではの価値観であり、教育され統一された文化です。
これは一例ではありますが、価値観や文化が均質であることは管理のし易さにつながっていると思います。
このようにメリット、デメリットがあるわけですが、日本が本気でグローバル化を進めるべきと考えるのであれば、避けられない課題がここにあると認識しています。
子どもは宝 街全体が子どもを応援する環境づくり
ーー谷島さんの今後のビジョンについてお聞かせください
短期的な目標をいうならば、おかだまのもりの「子どもを信頼する教育」のあり方を追求して、それを保護者の方々と共有して、サスティナブルにしていくことです。
園長として、「教員たちはこれを大切にしています」ということを子どもや保護者に理解してもらい、そして子どもたちを温かく見守っていくことが当面の目標です。
もう少し長期では、「子どもは国の宝」であるとみんなが思い、地域の理解が得られる社会の実現をビジョンとして描いています。
子どもは国の宝であるのだから、自分の知らない子どもであったとしても、助けたいとか、貢献できることがないか、と街全体が自然にそう考える環境を作りたいと思っています。
イタリアのレッジョ・エミリアが大切にしている考え方ですが、教育とはパブリックでみんなのものだから、みんなが関わるべき、関わりたいと思うものでありたいので、子どもが集まる場所を中心として機能する街、社会とはどのようなものだろうかと考えています。
保育は素晴らしい! こんなにやりがいのある仕事は他にない
ーー最後に、聖学院大学の後輩たちをはじめ、幼児教育、保育の道をめざす人たちにメッセージをお願いします
保育は素晴らしい!
保育は楽しい!
子どもに興味を持って、保育の道をめざそうと思ったのであれば、その道をとことん追求してください。
保育を知れば知るほど、保育の深さを理解できるし、子どもから学ぶことは本当にたくさんあるので、ぜひ没入して保育を楽しんでください。
子どもたちからはちゃんと信頼が返ってくるので、こんなにやりがいのある仕事は他にないだろうなと思います。
僕たちのような管理職やシニアマネージャーが、新人の先生たちが力を発揮できるように責任を持って環境を作っていくので、安心して飛び込んできて欲しいなと思っています。
(取材:2024年10月)
ーー谷島さん、子どもはもともと有能で、自ら育つ力を信じるって、とても良い考え方だと思います。後輩たちの指導を含めて、これからも聖学院の応援をよろしくお願いいたします。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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