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やりがいは生徒たちの反応と新しいことへのチャレンジ|#067 茨田 恭介さん

聖学院小学校 聖学院中学校・高等学校 卒業

時事通信出版局が発行している「教員養成セミナー」2024年10月号に、聖学院卒業生のインタビュー記事が掲載されているという情報が入りました。

神奈川県立平塚ろう学校で教員として活躍されている茨田 恭介(ばらだ きょうすけ)さんの記事で、4ページにわたって掲載されています。
『The story of Seigakuin』でも紹介したいと考えて、取材のお願いをしたところ、「よろこんで協力します。」と、ご快諾いただきました。




生徒が楽しくしている雰囲気と、新しいことへのチャレンジがやりがい

ーー茨田さんの近況からお聞かせください

現在、僕は神奈川県平塚市にある県立のろう学校で、保健体育科の教員として勤務しています。
以前は中高一貫の私立学校に勤務していたのですが、神奈川県の特別支援学校の教員採用試験を受けて、2021年に平塚ろう学校に初任として就任し、今年が4年目となります。

ろう学校は聴覚障がいと、聴覚と知的障がいの重複障がいの生徒が通う学校です。
聴覚障がいと重複障がいの割合は、凡そ7:3〜6:4という感じだと思います。

昨年までは高等部の担当をしていましたが、今年からは中学部の担当になりました。
授業が多い日には1日6限のうち5コマで授業を行い、1週間では合計20コマの授業を行なっています。
授業がない空いた時間は授業準備をしていますので、まあ忙しいといえば忙しいです。

とはいえ、まとまったお休みもしっかり取ることができます。
今年も夏休みに家族旅行に行ってきました。
夏休み中の出勤日は授業がないため、授業準備や校務分掌などに時間を使うことができます。
その間は集中して作業ができるので、何ヶ月分かまとめて行なって、見通しをつけるようにしています。

校務分掌としては、地域連携・開拓班の班長をしていて、企業やNPO、大学生や主婦の方など、先生以外の方々がボランティアで教育に関わる「学校支援ボランティア」と、体育館やグランドなどを地域の方に貸し出しをする「学校開放」の窓口を担当しています。

現在の仕事のやりがいは大きくは2つあります。
1つはもちろん生徒の反応です。
授業や課外活動で、生徒たちが楽しんでいる雰囲気を感じたときには僕も一緒にうれしく思います。

昨年までは高校3年生を担任していたので、進学先や就職など、生徒たちの希望に対する力となれることが、僕自身のモチベーションでありました。

2つ目は、業務の効率化の工夫や、新しいことへのチャレンジでうまくいったときにやりがいを感じています。

例えば「学校開放」などはコロナパンデミックで何年間か完全にストップしていたのですが、僕が担当することになって、いろいろな先生に相談をして、助言をいただきながらやり方を少しずつ構築していきました。
それが軌道に乗ったときには大きなよろこびを感じました。

これまでの学校での活動で特に印象に残っているのは『平ろう祭(ひらろうさい)』です。
平ろう祭というのは幼稚部から高等部までの幼児、児童、生徒、先生たちが参加する文化祭で、学校の一大イベントです。
例年10月下旬の開催なので、これからまもなく準備がはじまりますが、今年は僕が担当している中学1、2年生たちはお化け屋敷を実施する予定です。

特別支援学校
障害のある幼児児童生徒に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けること目的とする学校。
【対象障害種】
視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。)

引用:文部科学省ホームページ  特別支援教育


体育の先生になると決めたのは小学生時代

ーー教員をめざそうと思ったきっかけと、現在に至るまでの経緯を教えてください

僕は聖学院小学校に通っていたのですが、在学当時の体育の先生に憧れを抱いていて、なんかかっこいいなと思っていました。
そしてその先生がきっかけで教員をめざすようになりました。

僕は小学2年生からサッカーをはじめて、小学校の運動会の徒競走では6年連続1等賞をとるなど、運動には自信がありましたので、好きな授業はもちろん体育でした。

体育の先生は、厳しいところは厳しく、怒ると怖い先生でしたが、一方では休み時間も一緒に遊んでくれるとても楽しい先生でした。

僕は電車で小学校に通っていたのですが、あるときたまたま先生と2人になる機会があって、たくさん話をしました。
そのときに、先生の大学時代のことや、教員になるには教員免許が必要だということなど、いろいろ教えてもらいました。
それ以来、先生の出身校が僕の志望校となり、体育の先生になることをめざすようになったのです。

残念ながらその先生の出身校に進学することは叶いませんでしたが、体育教員になるという進路がぶれることはありませんでした。

大学を卒業して、もちろん聖学院中高で教員になれたら良かったのですが、タイミング悪く、体育教諭の募集をしていなかったので、別の中高一貫の私立学校の先生になりました。
そこでは、2年間ほど勤務したのですが、働いているうちに、何となく自分とは合わないような違和感を感じるようになっていました。
なんていうのか、その学校で定年を迎える自分の姿がイメージできなかったのです。

僕は大学で特別支援学校教諭の免許を取得していたので、「特別支援学校で働くことを検討してみては?」と妻からアドバイスされ、臨任(臨時的任用教員)登録をして私立学校を退職。
翌年は臨任として勤務しながら教員採用試験の勉強に励みました。
大学のとき特支の免許を取っておいて本当に良かったなと思っています。

そして、無事に神奈川県の教員採用試験に合格して、現在勤務している学校への配属が決まり、現在に至ります。

配属先が発表されたのは、学校がはじまる1ヶ月前でした。
知的障がいの学校が一番多く、僕の希望も知的障がいの学校だったので、実はろう学校への配属はまったく想定していませんでした。
ですから配属先がろう学校だと知って、YouTubeを見て、本を読んで、慌てて手話を勉強しました。

ろう学校では授業も休み時間の生徒との対話も、基本的には手話で行われます。
最初は伝えたいことをうまく伝えられないこと、生徒の伝えたいことを理解してあげられないことにもどかしさがあり、ストレスでしたが、逆にそうした気持ちを「成長したい」「うまくなりたい」というモチベーションに変えて頑張りました。

特別支援学校教諭
特別支援学校の教員は、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校の教諭免許状のほか、特別支援学校教諭免許状を有していなければならない

教育職員免許法第3条第3項

聖学院大学 人文学部 子ども教育学科でも特別支援学校教諭一種免許状(知的障害・肢体不自由・病弱)が取得できます

 

サッカー部の仲間たちと女装ダンス♪

ーー聖学院の思い出を教えてください

聖学院小学校の思い出は、先ほど話したように体育の先生との思い出と、運動会の徒競争のことです。
クラブは野球クラブに入っていて、ユニフォームを着て野球をしたことが思い出です。

中高の思い出はやはり何と言ってもサッカー部です。
週末もほとんど部活に明け暮れ、試合も多く、サッカー漬けの毎日でした。
中学では日野田先生、高校では高橋孝介先生にお世話になりました。
ポジションはボランチで、中学、高校どちらでもキャプテンを務めました。

サッカー部は大会で勝つことはありましたが、特別に強かったチームではありませんでした。
大学ではフットサル部に入部しました。
順天堂大学のフットサル部はインカレで続けて優勝するくらいの強いチームでしたが、そんなチームに所属して試合にも出ていたので、聖学院でサッカー漬けだった日々は確実に活かされているなと感じていました。

それから聖学院では、サッカー部の仲間たちと記念祭(文化祭)でダンスをしたことが印象に残っています。

中学のときは、家族からスカートを借りてきて、化粧をしてもらって、女装して踊る女装ダンスでお客さんで一杯の講堂をわかせました。

高校生のときは、女装はしませんでしたが、やはりダンスでサッカー部のみんなとステージに立ちました。
ちゃんとダンスのコーチまでつけてもらって本格的に練習し、本番に臨みました。

体育祭も楽しかった思い出です。
競技に出場するだけでも楽しかったのですが、実行委員として運営側の楽しさを味わうこともできました。


高3のときの試合、ドリブルする茨田さん


40歳までに総括教諭になること

ーー茨田さんの今後のビジョンを教えてください

僕は40歳までに" 総括教諭 "になるという目標を持っています。
総括教諭とは神奈川県独自の制度によるグループリーダーのことで、管理職と一般教諭との中間のポジションになります。

総括教諭になると、仕事の量が増え、責任が増します。
「それじゃあ、いいことないじゃないか」と思われるかも知れませんが、よりスケールの大きな仕事ができるようになるのです。
仕事の一番の報酬は仕事です。

この学校にも何名かの総括教諭の先生がいますが、40歳で総括教諭になれたなら、とても若い総括教諭ということになります。
総括教諭になってからのことは、今の段階で細かいところまで決める気はありませんが、そこから定年の65歳まで25年残っているので、その先の目標の幅は大きく広がることになると僕は思っています。

僕は小学校から私立の学校に通わせてもらいました。
そのことを親に感謝していますし、自分も息子がいるので、息子が自分でどう考えるかはわかりませんが、もし望むのならば大学までしっかり学ばせたいと思っています。
お金にも住むところにも困らないで、不自由なく家族が暮らせるように、定年まで元気に働く、それが僕の一番大切なビジョンです。


高校時代は一生涯の友だちに出会えるとき

ーー最後に、聖学院中高の後輩たちへ、メッセージをお願いします

思い起こせば、聖学院には嫌な先生が一人もいなかったなと思います。
また、クラスやサッカー部での友だちにもとても恵まれたと思っています。
昨年は友だちの結婚式にも参加しました。
実は来週もまた高校時代の友人たちと会う予定が入っています。
不思議なことに、久しぶりに会っても久しぶりな気がまったくしないんですよね。

高校の3年間は一生涯の友だちができるときだと思っています。
今の時間を大切にして、一生付き合える仲間たちと出会ってください。

本当に聖学院は楽しかったです。
(取材:2024年9月)

ーー茨田さん、ありがとうございました。特別支援学校の先生、やりがいのあるお仕事ですね。これからも聖学院の応援をどうぞよろしくお願いします。

●茨田 恭介(ばらだ きょうすけ)さん プロフィール
聖学院小学校 卒業
聖学院中学校・高等学校 卒業
神奈川県立平塚ろう学校 中学部教諭 保健体育科 地域連携・開拓班
順天堂大学 スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科 卒業


「誰一人取り残さない」世界の実現を目指して
聖学院は教育で社会に貢献しています


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最後までお読みいただきありがとうございました。
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