女子聖学院という環境の中で出会えたことの意味を大切にしたい|#020 小島 さなえ さん
女子聖学院中学校・高等学校 卒業
女子聖学院には、卒業生の先生がたくさんいます。
今回は卒業生教員の一人である小島さなえ先生にお話をうかがいました。
6年間の中で、高2・高3が一番印象に残っている2年間
ーー 女子聖学院中高での思い出をお話しいただけますか?
女子聖学院中高の6年間で一番印象に残っているのは、高校2年〜3年の2年間です。
女子聖学院は高2のときに文系、理系のクラスに分かれますが、理系のクラスは学年で1クラスだけです。
私も理系クラスでしたが、理系クラスの子たちは、理系の大学に進学することを決意した個性豊かな生徒の集まりでした。
一人ひとりの生徒は個性的でしたが、クラスとしてのまとまりは良くて、和気藹々(わきあいあい)としながらも、切磋琢磨してお互いを高め合っていく、そしていつも全力投球、そんなクラスでした。
女子聖学院には合唱コンクールという生徒主体の女子聖学院らしさを象徴する生徒会行事があります。
合唱コンクールでは課題曲と自由曲の2曲を歌います。
指揮者を担当していた生徒からの提案で、私たちは自由曲を、伴奏のないアカペラで歌うことにしました。
これは当時としてはたいへんな冒険だったのですが、先生や他のクラスの生徒たちを驚かせたいと思って計画しました。
もちろん歌は全力で練習しました。
演出にも凝り、課題曲が終わると、ピアノの伴奏を担当していた生徒がすっと立ち上がり、それを合図にみんなで歌い出します。
手拍子が入るようなアップテンポな曲でしたが、私たちは堂々と、意気揚々と歌い上げました。
曲が終わると、どよめきと共に盛大な拍手が会場に沸き起こり、それを聞いた私たちは優勝を確信しました。
ところが結果は特別賞でした。
「私たちが欲しいのはこれじゃない!」
クラスの誰もがそう思いました。
理系クラスの担任、物理の藤原博伸先生は「新しいことにチャレンジをするときは、批判されたり、否定されたりするもの。本当に良いものはきっと理解されるから、今回の結果は気にすることはない。」と言って私たちを励ましてくれました。
高3になっても理系クラスは基本的には同じメンバーです。
高3では、正攻法で合唱コンクールに臨み、そして見事に優勝することができました。
そのときに歌ったのが「マイ バラード」という曲で、今も時々その曲を聞いて勇気を与えてもらっています。
「神を仰ぎ 人に仕う」が実践されている女子聖学院
ーー 女子聖学院中高を進学先として選んだ理由を教えてください。
私の母がキリスト教主義の中高一貫校出身でしたので、キリスト教の学校を薦められました。
女子聖学院は、スカーフの色が6色あって学年ごとに変わるのは、楽しくて可愛らしいなあと思っていました。
私は受験の日に初めて女子聖学院に来たのですが、チャペルに入ったときには、天井が高く、静かで、厳かな感じに感動しました。
そして女子聖学院で学ぶ自分の姿がはっきりとイメージできました。
それで私はぜひ合格したいと強く願い、幸いにも合格することができたので女子聖学院に入学をしました。
女子聖学院に入学したときにも感じ、そして教員として戻ってきたときにも感じたことは、建学の精神である「神を仰ぎ 人に仕う」がまさに実践されているということです。
特に後半の「人に仕う」というところの実践は女子聖学院の環境ならではのものだと思っています。
「何かを、人のためにできるか」と考えることは、普通はあまりあることではないと思うのですが、女子聖学院では毎日の礼拝で聖句を聞いて、「こういうときはこうすべき」と自分の気持ちが曲がっていることを正されます。
そして、自分以外の隣人、他者とどのように生活をしていくべきか、ともに愛し合っていくことの重要さ、そうしたことを本当に大切にしています。
友だちなど他者のためにどのようにすれば良いのかをいつも考えている生徒たちを見ると、時代は変わっても建学の精神は引き継がれているのだなと思っています。
後輩たちの描く未来を手助けできたら良いな
ーー 小島先生が先生をめざした理由を教えてください。
私の家は両親が塾を経営していて、私は幼い頃から教育に近いところにいました。
はっきりと「教員になる」とは思ってはいませんでしたが、大学に進学したら教職課程は履修しようと思っていました。
正直に言えば、まさか自分が数学の教員になるとは思っていませんでした。
しかも、母校で教えることができるなんて本当にありがたいことと思っています。
女子聖学院に在学していたときに、友だちと一緒に勉強する機会が時々あったのですが、数学で友だちがわからないところを私が説明したときに「コジのおかげでわかるようになった」と感謝の言葉をもらったことがあります。
その言葉を聞いて私は本当にうれしく思いました。
何もできないと思っていた自分が、誰かの役に立つことができるんだと思ったのです。
思えばその経験が教員という職業をめざすことにつながっているのだと思います。
私は教育実習も女子聖学院中高でお世話になりました。
自分の後輩になる生徒たちと接して、「この子たちはどんな未来を描いていくんだろう。そしてその未来を何か手助けできることが、私にあれば良いなあ」と思いました。
そして教育実習で3週間を過ごしたときに、「私がここにこうしている絵が長く続くと好いな」と思いました。
その願いが今、叶っています。
数学担当の先生のおかげで数学に興味を持ちました
ーー 数学に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
私は実は小学生時代は、受験の算数はあまり好きではなくて、得意でもなかったんですね。
中学に入学してからも、特に数学に興味を持っていたわけではなくて、むしろ音楽が好きで、音楽に関わる仕事ができたら好いなと思っていました。
高校1年生のときに数学に興味を持ちはじめたのですが、それは数学を担当してくれていた鎌塚千絵先生の影響だと思います。
数学は一見難しそうなのですが、それがパズルのように解けたときの気持ちよさ、楽しさにハマってしまいました。
そして徐々に数学を極めていきたいという気持ちが出てきました。
大学は津田塾大学の学芸学部情報数理科学科へ進学しました。
津田塾大学は実は鎌塚先生の出身校です。
最初は鎌塚先生の母校であることで興味を持ちました。
オープンキャンパスに参加をして、津田塾のキャンパスを訪れたとき、東京の郊外にあるキャンパスの落ち着いた環境と雰囲気に好感を持ちました。
そして女子聖学院に初めてきたときのように、津田塾大学のキャンパスで学んでいる自分の姿が頭に浮かびました。
ぜひ、ここで学びたい!と強く思い、受験勉強に励みました。
そして、津田塾大学の学芸学部 情報数理科学科※に合格することができて、情報学と数学を学びました。
卒業論文では「黄金比」について書きました。
フィボナッチ数列※という数列があるのですが、フィボナッチ数列の隣り合う数字の比は黄金比(1:1.618…)と一致します。
それをテーマとしました。
女子聖学院という環境の中で出会えたことの意味を大切にしたい
ーー 最後に小島先生のビジョンをお聞かせいただけますか?
生徒が話しかけ難い先生にならないようにしたいと思っています。
いつでも気兼ねなく話してもらえる雰囲気をつくるように気をつけています。
一人ひとり考えていることが違う人たちなので、じっくり向き合って、話を聞いて、信頼関係を築けていけたら良いなと思っています。
生徒だけではなく、保護者とも情報を共有しながら生徒を支え合える関係になれたら良いと思いますし、生徒の頑張っている話を保護者から聞いたりすると自分も元気になります。
私は、自分に自信がなくて、何の役にも立たないと思っていたのですが、女子聖学院に入学して中学1年生のときに成績優秀者として名前を呼んでもらったことがすごくうれしくて、それから少しずつ自信が持てるようになりました。
また、毎日の礼拝で語られる言葉や、聖句にある、誰もがかけがえのない存在であるという言葉が身に染みついてきて、いつしか自然とそうした考えができるようになりました。
それとともに、自分が頑張ってきた結果も少しずつ見えるようになって、自分にも、もっとできることがあるかも知れないと思うようになり、今こうしてここにいる自分があります。
女子聖学院という環境の中で、友だちや先生、生徒や生徒の保護者と巡り会えた、出会えたことの意味を大切にしたい、そう考えています。
(取材:2022年5月)
ーー ありがとうございました。小島先生の謙虚な姿勢に感動し、笑顔に勇気をもらいました。
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