「聖学院にはなんていい奴がいるんだ」と思ったよ|#001 金子健太郎さん
聖学院中学校・高等学校 卒業
お父さんは先生たち憧れの東洋チャンピオン
下北沢の駅を降りて、雑貨屋やブティック、カレー屋さんなどが並ぶ好奇心をそそる賑やかな通りを5分ほど歩くと、緑色の建物に「金子ボクシングジム」の文字が見えてきます。
120周年記念としてスタートするnote企画、
「The story of Seigakuin〜卒業生紹介〜」
まず最初に紹介させていただくのは、聖学院中学校・高等学校の卒業生で、以前は同窓会長を務め、現在はASF(オール聖学院フェローシップ)担当の理事である金子健太郎さんです。
ボクシングジムにお邪魔するのは初めての経験ですが、サンドバックを叩いているのか、シュッと鋭い音に続き、ドン!と迫力がある音が玄関まで響いていました。
トレーニング場に恐る恐る入ると、まず目に飛び込んできたのはファイティングポーズのボクサーの写真。
実はこの写真のボクシング選手は、金子さんのお父さんで元 東洋フェザー級チャンピオンの金子繁治(故)さん。
「魅惑のパンチャー」という異名を持ちながら、リングを降りると温厚で、そして真面目なクリスチャンボクサーとして有名でした。
クリスチャンのお父さんのもとで育ち、幼児洗礼も受けていた金子さんが進学先として選んだのはキリスト教プロテスタントの学校、聖学院中学校・高等学校でした。
当時の聖学院中高では、戸邉治朗先生(元校長先生)を初め、ボクシングファン、金子チャンピオンファンが多く、金子さんが在学中には繁治さんはよく学校に招かれてお話をされたのだといいます。
やはり繁治さんの熱烈なファンであったという、金子さん在学中の聖学院中高の書道科の先生で書道家の山内清城先生(故)の書がリングの壁に飾られていました。
ボクシングはやめてボクシ(牧師)になれ
中学時代は野球部で頑張っていた金子さんですが、高校では野球は続けずに実家のボクシングジムでトレーニングをして、高校ではハイワイ部に所属しました。
金子さんはハイワイ部でボランテイア活動の心構えや大切さを学んだといいます。
聖書科も教えていた顧問の佐藤津義夫先生(故)は在学中にたいへんお世話になった先生の一人。
「金子はボクシングに夢中だが、人を殴るのはどうかと思うから、ボクシングはやめてボクシ(牧師)になれ。」
と佐藤先生によく言われたとのことでした。
なんていい奴がいるんだ
高校時代のクラスメイトでハイワイ部の活動を一緒にしていた田中淳さんという親友がいました。
高校生の金子さんは逆立ちをすることにハマっていた時期があり、その日も講堂の椅子の上で逆立ちをしていて手をすべらせて、ひじ掛けのネジに頭をぶつけてしまいました。
自分ではタンコブができたかな?くらいに思っていたのですが、ネジで皮膚を裂いてしまったようで血が噴き出てしまい、自分よりも周囲の友だちや先生を驚かせてしまいました。
慌てて近くの病院に駆け込んで、何針か縫うことになり、治療後にまた学校に戻ってきました。
その時に田中さんが病院に付き添ってくれて、痛み止めや化膿止めなど処方された薬を金子さんの代わりに持ってくれていました。
いったん、学校に戻り、それから帰宅をしたのですが、田中さんは金子さんに薬を渡すのを忘れてしまったのだそうです。
田中さんと金子さんは別々の方角に住んでいましたが、帰宅途中で薬を渡し忘れたことに気がついた田中さんは、金子さんに届けるためにはるばる下北沢まで届けに来てくれました。
現在のようにスマホなどがない時代で、金子さんと連絡を取ることもできず、地図で調べることもできません。
下北沢に到着して、おそらく交番で聞いたのだと思いますが、まず金子ボクシングジムを訪れて事情を説明し、金子さんの自宅を知ったのだそうです。
夜8時過ぎという高校生には遅い時間に、突然クラスメイトが薬を届けに来てくれたことに金子さんはたいへん驚くとともに感激し、
「聖学院にはなんていい奴がいるんだ」と思ったのだそうです。
それ以来、田中さんとは無二の親友となりました。
時を経て、
「自分たちに息子ができたら聖学院に入学させような。」と話していたことが、嬉しいことに実際にその通りになりました。
残念ながら10年ほど前に、田中さんは病気のため若くして旅立ってしまいました。
生前に「俺に何かあったら、家族をよろしく頼むな。」と言われたんだよ、と金子さんは悔しそうに語ってくれました。
聖学院教育をブレることなく続けてほしい
聖学院は面倒見が良くて、個性を尊重する学校です。
キリスト教の教えに従い、神様を仰いで人に奉仕をすることを喜びとしています。
そして偏差値などに惑わされずに、自分が何をやりたいのかを尊重します。
そうした聖学院の教育を、ブレることなくいつまでも続けてほしいというのが金子さんの願いだといいます。(取材:2022年 3月)