いつか、外交の仕事をわかりやすく伝える仕事をしたい|#037 宇田川 麻衣さん
聖学院小学校 女子聖学院中学校・高等学校 卒業
先日、日韓首脳会談があったためか、外務省中央門前の桜田通りには韓国の国旗が掲げられていました。(2023年3月取材)
門の前には複数の守衛さんがいて、入場者の厳重なチェックをしています。
外務省をはじめて訪れた、私たち広報スタッフ。
「いつもこんな感じなんですかね?」
「今日は外国のVIPが来るとかで、特別厳重なのかも知れないね。」
と会話しながら、不審者に思われはしないかと中央門の前で落ち着かずにいるところへ、待ち合わせの宇田川さんの姿が見えてホッとしました。
今回は、外務省に勤務されている、聖学院小学校と女子聖学院中高の卒業生、宇田川 麻衣さんを取材させていただきました。
ーー外務省に来る機会ってなかなかないのですが、今日は特に警戒が厳重なのでしょうか?
いえいえ、いつもこんな感じですよ。
今は韓国の大統領が来日されているので、道路には韓国の国旗が掲げられています。
そのときにいらっしゃられている国の要人に合わせて、掲揚される国旗が変えられるんです。
外務省での宇田川さんの仕事内容
ーーさっそくお話をおうかがいしたいのですが、宇田川さんは外務省でどのようなお仕事をされているのですか?
私はベトナム語の専門職として外務省に入省しましたが、現在は、アジア大洋州局 大洋州課というオーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島諸国の全部で16カ国を扱う部署に所属し、日ニュージーランド関係を主に担当しています。
具体的には、国家間の友好関係、協力関係をどのような方針や流れで進めていくかという、政策立案の仕事を行なっています。
この2月にニュージーランドのマフタ外務大臣が来日されて、日本の林 芳正外務大臣との会談がありましたが、例えばそのような場合には、ニュージーランドとの政治・経済・安全保障関係をどのように進めていくかに加え、ウクライナ情勢やインド太平洋地域における国際的な課題に同志国としてどう連携していくかなどの方向性を定め、スムーズに会談できるように様々な準備を行なっています。
また、会談の機会に、太平洋島嶼国における両国の協力に関する文書も作成、発表しました。
戦略的環境が大きく変わる太平洋島嶼国において、どう両国が連携すべきか、会談においても率直な意見交換がされ、鳥肌が立ちました。
日ニュージーランド間においては、2022年度に首脳間の接点が4回、外相間では1度ありましたが、通常は、事務方同士で太平洋諸国に対する支援における連携の方向性、二国間の経済協力の課題解決、北朝鮮の対応についての連携といったようなことを、東京の本省や在ニュージーランド大使館において、ときには大使までレベルを上げつつ、様々な調整を行います。
多くの調整の結果を元に、要人間の会談の際に高いレベルで協力の方針につき一致し、協力関係を一層深めていく、という流れが多いように思います。
このような要人往来の際には、外務省にて、会談の際の資料作成はもちろん、入国や出国がスムーズにいくように空港当局と調整したり、会談時の席次を調整したり、ワーキングディナーにおけるメニューの選定をおこなったりと、訪問全体が成功となるように非常に細かな準備まで行うことになります。
往来があると、土日関係なく、深夜まで働きますが、最後、要人を最後見送る際には、いつも大きな疲労感と共に(笑)達成感を感じることができます。
私は、ベトナムの専門職として、外務省人生全体を通しベトナムの専門家であることが求められているのですが、現在は、数少ないニュージーランドの担当者として、外務本省において日ニュージーランド関係のことを一番理解していないといけない、という立場にあります。
両国の関係の全般に直接関わるという仕事は、プレッシャーも大きいですが、同時に非常にやりがいがあると思っています。
ーー現在のお仕事に興味を持たれたきっかけと、これまでの経緯をお話しいただけますか?
私は女子聖学院に在籍中から海外で働きたいと思っていました。
しかし、海外で働くには言葉の壁があるので、理系の仕事を選べば言葉の壁を越えられるのではないかと思いました。
具体的には獣医学部進学などを頭に描き、理系学部をめざして理系クラスに所属していました。
ところが思うように数学ができるようにならなくて、高校3年生の夏になって理系をあきらめて、文系の学部への進学へシフトしました。
文系の学部の中で法学部を選んだのは、ルールをつくるということへの関心があったからだと思います。
法学部で国際法を学び、各国が自国の利益を最大化するために、条文の文言一つひとつを交渉した結果このような条約ができあがっているのだ、ということを知りました。
その交渉過程を想像し、その現場にいる外交官に関心を持ちました。
大学時代から、外務専門職は第一志望でしたが、同級生の就活の波に乗って少し就活をかじってみたり、大学を2年間休学し、インターンのつもりで在外公館派遣員として勤務を行ったりなど、紆余曲折、遠回りをしつつ、2014年に外務省専門職員として入省しました。
外務省では最終面接の際に、一人ひとつ、言語を言い渡されるのですが、私にとってそれがベトナム語でした。
入省後は、1年間国内で勤務をした後、2年間、現地で語学を学ぶことになります。
私はハノイで2年間、語学研修を受けたのち、4年間、在ベトナム日本国大使館で勤務をしました。
大使の通訳や、政務班員として情報収集を行う傍ら、良好な日越関係を背景に、非常に多くの要人往来の対応をしました。
天皇皇后両陛下(現在の上皇皇后陛下)が最後の外国訪問先としてお越しになったほか、安倍元総理、菅元総理が、首相就任後最初の外遊先としてベトナムを訪問されるなど、両国の多くの首脳、閣僚の往来が、両国関係をさらに盛り上げました。
ちなみに、菅総理(2020年当時)の就任後初の外遊先としてベトナムを訪問された際には、私は菅 眞理子夫人の通訳をさせていただきました。
また、2021年に日本に帰国してからは、安倍元総理がベトナム要人と面会される際の通訳をする機会にも恵まれました。
通訳のプレッシャーはかなりのもので、毎回逃げたくなるほど精神的にもきついですが、トップの会談の場に立ち会えることは、少数言語の専門職としての醍醐味でもあり、また、本当に貴重な機会となりました。
大学を休学して2年間ベトナムにいたので、それを含めるとトータル8年間ベトナムにいたことになります。
2021年に日本に戻り、2ヶ月ほどオリンピックパラリンピック関連の業務に関わり、2021年8月から現在の所属となりました。
自学ノートで「毎日書くことのトレーニング」
ーー宇田川さんは聖学院小学校と女子聖学院中高の卒業生ですが、学校の思い出をお聞かせいただけますか?
私は小さい頃、めったに泣かない子で、小学校でも何があっても泣かなかったのですが、聖学院小学校の卒業式では号泣でした。
それほど、聖学院小学校が大好きだったんです。
何が魅力かといえば、先生やお友だちとの関係です。
当時のお友だちとは今も交流があり、本人同士だけでなく、母親同士も仲が良くて、家族ぐるみの付き合いをしています。
小学校の3、4年生のときは池内清先生が担任でした。
聖学院小学校には自学ノートというのがあるのですが、池内先生に、自学ノートを活用して「毎日書くことのトレーニング」をしてもらったことや、ディベートで反対の立場についてよく考える機会をいただいたことは、私の学びの土台となっていて、今でも役に立っていると感じています。
行事ではクリスマスページェントが印象に残っています。
1年生のときにお星さま、5年生のときには博士の役をいただきました。
博士に憧れていて、ずっと演じたかったので、とてもうれしかったです。
女子聖学院中高、水泳部でのできごと
女子聖学院中高で強く印象に残っているのは、理系クラスにいた2年間かもしれません。
担任は山本真実先生で、高2、3年と、クラス替えのない、個性的なメンバーが揃う理系クラスは楽しい思い出ばかりです。
受験のプレッシャーも当然みんなが抱えていたはずですが、学校では、みんな仲良く伸び伸び自由に勉強していて、女子聖の良さがよく出ていたなと、振り返って思います。
女子聖学院にはプールがありませんが、私は水泳部に所属していました。
夏合宿に行ったとき、合宿所へ向かうバスの中で母親から連絡が入りました。
わざわざ連絡してくるなんて何事だろうとかなりドキドキしましたが、なんとびっくり、私は水着を持ってくるのを忘れたようで、
「部屋に水着があるけれど大丈夫?」という連絡だったのです。
翌日合宿所に届くように、母親に宅配便で宿に送ってもらいました。
初日は、水着を2着持ってきていた準備の良い先輩に甘え、お借りして練習をしました。
そんなドジな私を、先生も先輩も友だちも、叱るでもなく、笑って、そして助けてくれる、たいへん恵まれた環境で育ててもらったと思っています。
ーー宇田川さんにとって聖学院小学校、女子聖学院中高とはどんな存在なのでしょうか?
大好きな場所です。
思い出すと心が柔らかくなります。
自分の専門をつくり、将来的には広報に関わりたい
ーー 最後に宇田川さんの今後のビジョンをお聞かせいただけますでしょうか?
何かひとつ、この分野だったら、この人に聞こう、と思ってもらえるような専門分野を将来的につくれたらいいなと思っています。
私は外務省ではベトナムを専門としていて、現在はニュージーランドの担当をしていますが、外務省には、このような地域の専門だけではなく、例えば軍縮不拡散、O D Aなどの国際協力、気候変動、経済連携、国際法など各分野を担当する部署があります。
もし今後、私がそのような部署に異動すれば、それを担当している間は、同分野の専門になることが求められます。
部署異動したしばらくは、勉強が追いつかず、かなりしんどいですが、飽きっぽい性格の私には、ずっと同じことを担当するよりも、幅広い分野について担当できることは魅力の一つです。
ベトナム以外に、ひとつ、何かしらの柱を作れたらいいな、と思っています。
まだその柱は模索中ですが、今は広報に関心を持っています。
一般的に、外交分野がメディアに取り上げられるとき、各国の要人が握手をしているシーンと共に、抽象的な会談内容が紹介されるのみで、イメージが湧きにくく、皆さんにとって外交が遠い存在になってしまっているのではないかと想像します。
その会談を通じ、どのように協力関係が進展しているのかなど、具体的な外交の効果についての発信については、まだまだ改善が必要だと感じます。
例えば、日本がどのような外交を他国で行なっていて、例えば、O D Aを使って建てた橋がどのように現地の人の役に立っているかなど、より具体的に事例を共有することで、その国との心理的な距離が近づき、ひいては両国の友好関係の向上に役立つのではないかと思います。
外交を通し、日本がどう国際社会に貢献しているのか、世の中の人たちにわかりやすく伝えること、あるいは各国の方々に日本をきちんと理解してもらうことを目的に、いつか「広報」の業務を担当したいと思っています。
そして、外国からの日本への評価や、各国との友好の歴史を知ることで、皆さんの自国への理解を深めることに貢献できたら、という希望を持っています。
(取材:2023年3月)
ーー 外務省のお仕事について少し理解できました。宇田川さんの広報、期待しています。本日はどうもありがとうございました。
●ご寄付によるご支援をお願いします→こちらから
最後までお読みいただきありがとうございました。
宇田川さんの応援、どうぞよろしくお願いします。
まずは♡(スキ)で応援してくださいね。