大学ではいつも誰かと一緒に歩いていました|#029 吉澤 菜摘さん
聖学院大学 人間福祉学科 卒業
聖学院大学ボランティア活動支援センター(ボラセン)のスタッフに大学の卒業生を紹介していただきました。
人間福祉学科 卒業生の吉澤菜摘(よしざわなつみ)さんです。
吉澤さんが卒業してからすでに4年が経ちますが、今でも月に1度くらい大学に現況報告に来ているのだとか。
「どんな卒業生の方ですか? 私の知っている卒業生でしょうか?」
とボラセンのスタッフに質問をすると、
「もちろん!会えば、きっと思い出しますよ」と。
そして、さっそく吉澤さんに連絡をとって、取材させていただきました。
ボランティアがつなげてくれた会社に勤務
ーー 吉澤さん、ご無沙汰しています。
在学中、よくお会いしていたのに、名前を覚えていませんでした、ごめんなさい
私もです。
「今度、広報センターの職員の人に取材されるんだけど、どんな人かな?」と航太(同級生)に聞いたら「見たらわかるよ」って言われて。
ホントにそうでした。
お久しぶりです。
ーー それではさっそく、お話をうかがいたいと思います
吉澤さんは現在、どのような会社でどんなお仕事をされていますか?
私は現在、主に発達障害の小学生をお預かりしている放課後デイサービスの事業所に児童指導員として勤務しています。
同じ敷地内に複数の事業所があり、全体では50名くらいの登録者がありますが、1日に来所される子どもたちは、だいたい15名(1事業所7、8名)くらいです。
私はそこで、宿題を一緒にやるなどして、子どもたちの成長を促していくことをしています。
自分自身が障がいを持っていたこともあって、福祉の仕事には小学生のときから関心を持っていました。
しかし、障がい者施設では、実は意外と障がい者を雇用していないことが多いんです。
私は大学を卒業したときは就職先は決まっていなかったのですが、高校生のときにボランティア活動で関わりのあった今の会社の方に「就職先が決まっていないなら、うちで働かないか?」と声をかけてもらったことがきっかけで、働くことになりました。
ボランティアがつなげてくれたご縁です。
CPサッカーチームの先輩にすすめられて大学進学
ーー 進学先として聖学院大学を選んだ理由を教えてもらえますか?
福祉を学べる大学をたくさん調べていたのですが、その中で一番対応が良かったからです。
大学を見学させてもらったときに、学生も先生も職員も、みなさんすごく感じが良かったんです。
私は先天的に障がいをもって生まれてきました。
脳性まひで、首から下全部の障がいです。
親は私のことを心配をして、高校も電車で乗り換えがなく行けるところを選ばせました。
しかし、いずれは親から独立して生きていかなくてはならないので、早く親から自立したいという思いがありました。
高校生のときに障がい者スポーツであるCPサッカーに出会いました。
CPサッカーとは脳性まひ者の7人制のサッカーで、私は埼玉県障害者交流センターを拠点に活動するASユナイテッドというチームに参加しました。
「運動するなんてとても無理だよ」と親に言われましたが、弟は元気に野球をしていてうらやましかったし、『キャプテン翼』が大好きだったので、サッカーをしたいとずっと思っていました。
自分で決めて、自分一人で通いました。
障害者交流センターはさいたま新都心にあるので、電車を乗り換えなければなりません。
電車に一人で乗ったのは高校に入ってからでしたが、電車の乗り換えを一人でする経験はこのときが初めてでした。
当時は乗り換えの駅にエレベーターの設置がなくてたいへんでしたが、サッカーをしたいという思いの方が強く、サッカーをはじめてからは、単に練習に通うだけではなくて、横浜などあちこちへ試合で遠征にもいきました。
自分と対等の立場の人たちと、対等の立場でスポーツができることはこの上ないよろこびでした。
ASユナイテッドのチームの先輩たちから、絶対に大学は行ったほうが良いと言われて、大学進学を真剣に考えるようになりました。
電車の乗り換えを経験していたので、聖学院大学への進学を視野に入れられるようになりました。
そして、何しろ一番応対が良かったので聖学院大学を選びました。
4年間出席したボランティア概論
ーー 聖学院大学で印象に残っていることを教えてください
学校外に出ていく実習の授業が特に好きでした。
社会福祉の実習も行きました。
実習では、小沼先生や長谷部先生にはたいへんお世話になりました。
それからボラセンの川田先生の授業で、『ボランティア概論』は4年間続けて出席しました。
単位を取れなかったわけではありません。
そして、もちろん単位が認められるのは1回だけなのですが、授業は同じでも、履修する学生が毎年違うので違う学びができますから、卒業するまで、毎年出席したんです。
ゲストスピーカーで現場の方の生の声が聞けることも有意義でした
レポートもちゃんと提出していましたよ。
在学中のボランティア活動は「Heart & Smile」という団体に所属して、地域のイベントに参加して、子どもたちと交流を行う活動をしていました。
あるときイベントで出会った小学校2年生くらいの男の子が、私の足の装具に興味を持ち、「変な歩き方してるね」と声をかけてきました。
「そうだよね」と私が言うと、「この靴がなくなったらどうなるの?」と聞きます。
普通はこんな会話で終了なのですが、そのときは男の子が、「困ったことがあったらボクを呼んでね。ボク手伝うから。」って言ってくれたんです。
Heart & Smileを立ち上げた3つ上の先輩、福田さん、牛込さんにはたいへんお世話になりました。
「できることをやれば良いんだよ」といって、できないことではなくて、できることに焦点を当ててくれました。
私たちの代ではミサキ(同級生)が代表だったのですが、私とは意見が合わなくてよくぶつかりました。
卒業した今でも頻繁に連絡を取っていて、あいかわらず喧嘩しています。
ーー 吉澤さんにとって聖学院大学とはどんな存在ですか?
本当に楽しかったと思っています。
社会について学ばせてもらった4年間だったなと思います。
先生や同級生、先輩も後輩も、聖学院大学の仲間たちはみんな公平で、差別を受けることがありませんでした。
「障がい者の吉澤菜摘」ではなくて、「吉澤菜摘が障がいを持っている」という接し方をされていると感じていました。
今、思い出すと、私は大学のキャンパスをいつも誰かと一緒に歩いていました。
一人で大学にいたという記憶がありません。
私のとなりには、同級生か、先輩か、後輩か、先生か、職員か、必ず誰かがいました。
成長させてくれて 認めてくれて ありがとう
ーー これから先、どんなビジョンを描いていますか?
私はやはり障がいがあるので、現在の仕事がいつまでもできるわけではないと思っています。
その後は、制度を利用して働くことになるのかなと思います。
そうした意味でも、今あることを大切に見ていきたいし、それが叶うならずっと今の景色を見ていられたらと思っています。
でも、見られなくなったときには、大学で出会った人たちに相談して探していくのでしょうね、自分の道を。
私がしたいことが何かというと、自分の経験を伝えられる大人になりたいなと思っています。
障がいを持っているからできないと自分も思い込んでいたし、周りの大人もそう言い続けてきた。
では、どこで、味方になってくれる、対等に見てくれる大人と出会うんだろうと思っていました。
自分がそういう大人でありたいなと思っています。
経験を伝えることとして、ときどき講演の機会をいただいています。
今後、さらに講演の機会が増えたらありがたいですし、文章にするなど、別のカタチでの情報発信もできたらと思っています。
ーー 同級生や先生、先輩、後輩たちなど聖学院大学の仲間に向けてメッセージをいただけますか?
いろいろ考えましたがこれしかないですね。
ありがとう。
成長させてもらえたこと、認めてもらえたことに対して感謝しています。
ーー 吉澤さん本当にありがとうございました
これからも、サッカーにお仕事、頑張ってくださいね
(取材:2022年12月)
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