夢を語ることは、人生を豊かにするということ|#032 平塚 旦さん
聖学院中学校・高等学校卒業
聖学院高校グローバルイノベーションクラス(通称GIC)の起業ゼミの生徒は、夏休みに、卒業生の経営するお店などでインターンシップの体験をします。
2022年に早稲田大学近くにオープンした人気ラーメン店「Life is Better…Yume Wo Katare」もインターンシップを受け入れてくれる予定のお店の一つ。
そして、店主の平塚 旦(ひらつか だん)さんは聖学院中高の卒業生とのこと。
さっそく、都電に乗り早稲田までラーメンを食べに、いや、取材をしにうかがわせていただきました。
平塚さん、アメリカで師匠に出会う
ーー平塚さんはアメリカの大学に進学して、アメリカでYume Wo Katareというラーメン店さんに就職したとうかがいました。
早稲田でお店をオープンするに至った経緯をお教えいただけますか?
僕は聖学院高校を卒業して、コネチカット州立大学に進学しました。
昔からラーメンは好きなのですが、アメリカで二郎系ラーメンが無性に食べたくなって、ボストンにある「Yume Wo Katare」というラーメン店さんを探して食べに行きました。
そしてそこで、後に僕の師匠となる西岡津世志さんと出会いました。
ボストンは僕の住んでいるコネチカット州のとなりのマサチューセッツ州にあります。
だいたい月一回のペースで食べに行っていたと思います。
となりの州と言っても車で1時間半くらいかかります。
通っているうちに、何かのきっかけでお店の手伝いをするようになりました。
大学ではコミュニケーションを専攻していましたが、写真や映像とかを趣味でやっていたので、そんなお手伝いをしていて、やがてお店でアルバイトをするようになりました。
アメリカで就職活動をしていたのですが、なかなか思うようにいかなくて、そうしたら師匠に声をかけてもらいました。
本当にありがたかったのですが、正直迷いました。
アメリカの大学で学ばせてもらって、ラーメン店さん、しかも日本人が経営するところに就職すると言えば、きっと両親に反対されるだろうと思ったのです。
両親は僕が商社とかそういうところに就職することをイメージしていたようなんです。
夢、語っていいんだ!
ーーでは、最初から経営者になることを考えていたわけではないんですね?
ラーメン店ではありませんが、経営者になるプランを高校生のときに、父に相談したことがあります。
そうしたら、「お前はビジネスがやりたいのか、ボランティアがやりたいのかどっちなんだ?」って言われまして。
父親としては生半可な思いで夢を見るなということが言いたかったのだと思いますが、まだ幼かった自分は、「やりたいことを語っちゃいけないんだ」とトラウマになりました。
ところがアメリカに夢を語ることを推奨するラーメン店さんがあって、そこに来るお客さんたちが、本当にみんな夢を語るんですね。
すごく楽しそうに、そして自信満々に。
それをずっと見ていて、夢を持ってもいいんだ、やりたいことをやればいいんだと思えるようになりました。
ーーそれで、Yume Wo Katareに就職した?
いや、なかなか思い切りがつかなかったですね。
どうしても自分一人で決めることができなくて。
当時つきあっていた彼女のお母さんが遊びに来てくれたときに、一緒にレッドソックスの試合を見にいったんです。
その試合でレッドソックスが勝ったならば就職すると決めました。
結果はレッドソックスのボロ勝ちでした(笑)。
師匠の夢、自分の夢
僕が大学を卒業する頃、西岡師匠は47都道府県にYume wo Katareをオープンするというビジョンを持っていました。
そして、「沖縄をやらないか?」と言われて、僕が沖縄に店をオープンすることになりました。
すでに東京と京都には店舗がスタートしていて、師匠は僕と同時期に大分の別府で店をオープンしました。
ボストンのお店は引き払ったのですが、実は仲間が引き継いでいて、今でも営業しています。
昨年も、9月に行ってきました。
Yume Wo Katareは1年間店舗で修行をしてから独立して自分の店を持ちます。
Yume Wo Katareの店名で経営できるのは3年間だけで、その後はお店を誰かに引き継いで別の場所で開店するか、別の店舗名で自分のお店を持つなどします。
1年間の修行と3年間の経営実務の学びを足して4年間学ぶことになるので、ラーメンの大学に喩えられることもあります。
僕は沖縄で3年間経営して、お店をスタッフに引き継いで昨年早稲田のこの場所に「Life is Better…from Yume Wo Katare」をオープンしました。
なぜ、Life is Betterという店名にしたのか。
僕が沖縄でお店を経営しながら学んだのは、「人間はそれぞれ好きなものがあって、それに情熱を注いでいるけれど、それらは必ずしも生きていくために必要なものではないことも多い。じゃあ、なんで時間やお金や労力をかけてやるのかといえば、それをすることでその人の人生が豊かになるから」ということです。
そして、「自分はこれが好きなんだよね」ってしゃべれる場所があるかといわれたら、ないなと思いました。
夢を語るってことは素晴らしいと思いますが、夢を語ることも夢を持つこともつまりは自分の人生を豊かにすることですよね。
そして、自分の人生を豊かにしてくれる場所という意味で「Life is Better…from Yume Wo Katare」という店名にしました。
高校時代のバンド仲間がみんな経営者に
ーー聖学院中高での平塚さんはどんな生徒でしたか?
今でもそうですが、当時から僕は楽しいことが好きで、記念祭(文化祭)の実行委員をずっとやっていました。
それからロックバンドを組んでいました。
記念祭でももちろん演奏しましたが、それだと年に1、2回しか演奏の機会がないのでライブハウスにも出演していました。
父親が音楽が好きで、ギターをたくさん持っていたので、その影響で自分もギターを弾くようになったのだと思います。
音楽をやるには僕の家庭は恵まれていたと思います。
面白いことに、当時のバンド仲間は僕を含めて全員経営者になっています。
ーー平塚さんはクリスチャンですか?
僕の両親はブラジル人でクリスチャンなのですが、僕自身はクリスチャンではありません。
聖学院を志望校としたのは両親がクリスチャンだったということが理由の一つにあります。
僕はクリスチャンではありませんが、考え方を聖書から学ぶことは多かったですし、何しろアメリカの大学で学ぶにあたっては、キリスト教の文化を実感として理解していることがたいへん役に立ちました。
ーー聖学院の良さって何でしょう?
聖学院には自分がやりたいことを応援してくれる先生がいる学校だと思っています。
学校なので、学びに関係のないものを学校に持ってきたら普通は怒られるというか、没収されたりもします。
学びに関係のないギターを学校に持ってきて、バンド活動をしているといったら、それを応援してくれる先生たちがいたのがうれしかったですね。
そういえば、昨年一昨年と、生田先生から声をかけていただいて哲学対話の授業に参加させてもらいました。
自分が興味を持っていることをとことん話すということが文化になりつつあることがすごく良いことだと思っています。
自分が在籍中にこういう授業があったら良かったなと思いました。
でもまあ、チャレンジスピリッツは昔から常にあったような気がします。
だから、経営者の卒業生が多いのかも知れませんね。
自分がカッコいいと思えることを具現化して、共感してくれる人を増やしたい
ーー先ほど早稲田で少し長くお店をやりたいというお話がありましたが、ビジョンをもう少しお話しいただけますか?
10年くらいはここでやりたいと思います。
早稲田という場所をもっとカッコよくすることが僕のミッションだと思っていますから。
だから、まずはこのお店がカッコよくなくてはと思っています。
安くてうまいのも良いですが、新しくてカッコいい戦略をとりたい。
この店構えでこのラーメンが出てくることがカッコいいし、泥臭く働いていてもカッコいいし、自分がカッコいいと思うことを具現化したいです。
僕のビジョンを語るとすれば、今までに沖縄の店舗と早稲田と経営していますが、うちで働いてくれたスタッフが何かあったときに食いっぱぐれないようにするのは自分の責任だなと思っています。
関わるスタッフは年々増えていくわけですけれど、みんなそれぞれに自分の夢を持っています。
自分は別にラーメン店さんになることが夢だったのではありませんが、今、自分にできるプロフェッショナルレベルなことがラーメンだということで、まあラーメンを作ることは大好きではあるんですが、結局は自分がいいなって思えるものを誰かと共有して、それで「いいですね」って言ってくれる人を増やしたいのかなって思います。
その手段が、たまたま今はラーメンであり、それがしっくりきているということなんだと思います。
僕のもとで働いてくれた後輩たちにもどんどん自分の夢を追いかけていって欲しいです。
でも、もしどうしてもダメなときになったら、うちにきてうちで働いてメシを食ったら好いと、そういうふうにずっと続けられたらいいなと思っています。
もしかしたら、いつかラーメン店ではなくなっているかも知れませんが。
自分の人生、自分でデザインしよう
ーー最後に、聖学院の卒業生や後輩たちなど、この記事を読んでくれている人たちに向けて、ひとことメッセージをいただけますか?
ワクワクするならば飛び込めば良いし、やめたくなったらやめれば良い。
だけど、しんどいからやめたいのだとしたら、少し辛抱して、それが楽しくなるまでもうちょっとだけ続ける。
自分の人生なんだから、自分で好きにデザインしたら良いと思います。
メッセージというか、僕自身がそういうふうに生きていこうと思っています。
(取材:2023年2月)
ーー ありがとうございました。最後のメッセージは私にも響きました。これからも頑張ってください。
●ご寄付によるご支援をお願いします→こちらから
最後までお読みいただきありがとうございました。
平塚さんの応援、どうぞよろしくお願いします。
まずは♡(スキ)で応援してくださいね。