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認知症の方もアートを楽しめる、対話型アート鑑賞プログラム『アートリップ』|#053 林 容子さん

聖学院小学校
女子聖学院中学校・高等学校 卒業

『アートリップ®︎』という認知症向けの対話型アート鑑賞プログラムがあります。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)の『meet me at MoMA』というプログラムを、日本向けにアレンジしたものがアートリップです。
そして、アートリップの企画・実施と普及のための活動を行っているのが、聖学院小学校および女子聖学院中高の卒業生の林 容子(はやし ようこ)さんです。

川崎市 岡本太郎美術館で林さんがアートリップを実施されると聞いて取材をしてまいりました。



川崎市 岡本太郎美術館で開催のアートリップ

岡本太郎美術館は生田緑地の中にあります。
アートリップ開催当日は天気が良く、紅葉を楽しみながら会場に到着しました。

プログラムの開始時間となり、今回の参加者全員が揃ったところで、プログラムの簡単な説明がなされ、美術館の常設展示会場にある岡本太郎氏の作品の前に移動しました。

最初に鑑賞したのは『森の掟』という絵画です。
まずは参加者に絵をゆっくりじっくり眺めてもらいます。

少し時間をとったあとで、林さんは参加者一人ずつに質問を投げかけます。
「〇〇さん、この絵の中には何が描かれていますか?気になったところを教えてください。」
この美術館でのアートリップは今回が初めての開催のため、今日の参加者は全員が初参加です。
みなさん緊張されていたようで、最初はなかなか言葉が出てきませんでしたが、林さんは一切急かすことなく、言葉が出てくるのを待ちました。

「ファスナーのある獣が動物を襲っている」
「三匹のサルが木の影に隠れている」
「ファスナーを開けると中から食べられてしまった人が出てくる」

参加者の発言が少しずつ増えていきます。
「この獣は怒っているんでしょうか?笑っているんでしょうか?」
と、モチーフの感情を想像する質問や、
「◯◯さんはこの絵を見てどんな気持ちになりましたか?」
と、参加者自身の感情にフォーカスした質問などがなされました。


作品の前で椅子に座って鑑賞する参加者たち
「森の掟」の前で椅子に座って鑑賞

20分以上を1枚の絵の前で過ごしたあと、椅子の作品やオブジェなどの立体作品を移動しながら鑑賞し、本日の2枚目『マラソン』という絵画の前に到着しました。


岡本太郎の立体作品を鑑賞する参加者たち
立体作品などを鑑賞しながら移動

『マラソン』についても、1枚目の絵画同様に、椅子に座り時間をかけて見て、気がついたことや思いついたストーリーなどを参加者に話してもらいました。

そして本日最後の3枚目となる『愛撫』という絵画の前では、1枚目、2枚目に比べて、活発に、たくさんの様々なコメントが語られていました。


全肯定という関わり方で参加者の心を開くアートの旅

ーーアートリップ拝見させていただきました。
どの方が認知症なのか私にはよくわかりませんでした。

私がMoMA(ニューヨーク近代美術館)で最初にこのプログラムに出会ったときも、同じような感想を持ちました。
認知症の方がこんなに明るく自分の意見を言えるとは思わなかったからです。

若年性認知症の方は現在、日本に3万5千人以上いるといわれていますが、今回は若年性の方が多かったと思います。
認知症の程度はそれぞれなのですが、対話は言葉のキャッチボールですから、実はその程度によって対応の仕方を変えています。

話しかけるときには、必ず名前を呼んで問いかけます。
質問に答えてくれたなら「◯◯さんはこんなことを言ってくれました」「〇〇さんはこういうことに気がつきました」と他の参加者の皆さんとも会話の内容を必ず共有します。

今日は1枚目の絵(森の掟)を見て、「背中にネジがついているネズミがいる」と気づいてくれた人がいました。
それを聞いて私は「ホントだ、ネジがついていますね。巻くと動くのかな?」とその言葉を受け止めて展開しました。

認知症の方にとっては言語化するということはとても難しいことです。
ですから出て来た言葉に対して丁寧に返答することがとても大切なのです。

認知症の重度によっては何を言っているのかわからないこともあります。
私は彼らの言っていることを100%理解して返答しているわけではありません。

「それは、こういうことですか?」と言葉を変えたり、喩えを変えたりしながら何を伝えたいのかを理解しようと努めます。

しかし解釈がうまくできていない場合に参加者は、「それは違う」「いや、そうじゃなくて」とイライラした強い口調になることもあります。
自分の言いたいことが伝わらないもどかしさを感じているのだと思います。

それでもこちらが何を伝えたいのかを理解しようとしていることがわかるので、一所懸命説明しようとしてくれるのです。

それから、絵の鑑賞の締め括りのときには、「この絵はこんなものやこんなものが描かれているという意見が出ました」と全体をまとめる振り返りを入れます。
認知症の方は短期記憶力が弱いので、まとめることで全体を把握することの支援になります。

今回は3枚の絵を鑑賞しましたが、3枚目の『愛撫』という絵画の前では、「怒りを感じます」とか「龍が描かれています」など様々なコメントがあったと思います。
1枚目、2枚目、3枚目と見ていくなかで、徐々にリラックスができて言葉が出るようになっていくんです。
今回の参加者の皆さんは今日が初めての参加ですが、2回目、3回目と回を重ねると、さらにもっと対話ができるようになっていきます。

2枚目の絵のところで私が「この絵を見てください」と言っても、「こっちの絵が気になる」と言って別の絵のコメントをした方がいました。
しかし、それを「そちらではなくてこちらの絵です」と正してはダメなのです。
別の絵に対するコメントであっても、コメントはすべて受け入れます。

例えば、黄色い色が塗られている絵があったとします。
認知症の方がそれを見て茶色だと言います。
それはその人にとっては茶色なのです。
「いいえ、これは黄色ですよね」と修正してはいけません。
全部を肯定するのです。
それは決して適当に受け流すということではありません。
その方がなぜ茶色と言ったのか、その理由を丁寧に聞いていきます。

例えば、明らかに犬だと思うのを見て、「猫がいる」と言ったりもします。
でも、アートコンダクターはそれを否定しません。
誰が見ても犬だと思う動物を参加者が猫だと言った場合、そのようなコメントにも理由があるものなので、私たちはそれをくみ取る努力をします。
なぜ、そう思ったのかを聞きます。
すると描かれている犬の色が、自分が飼っている猫の色と同じだったからだということがわかります。

「アートリップ入門」林 容子著(2020, 誠文堂新光社)より

参加者は感性で話をします。
認知症の方は論理ではなく、感情を話すのです。
アルツハイマーは情動、感情を司どる機能が最後まで残るんです。

アートリップはトリップ(旅)です。
私たちファシリテーターはアートの旅のツアーコンダクターということで、アートコンダクターという名前をつけています。

MoMAのオリジナルプログラムではアートエデュケーターと呼んでいますが、教育者というと少し上からな気がしますし、教える側が主体ではないので私たちのプログラムではコンダクターとしました。

「これから私が説明します」というスタンスではなく、「あなたがどう思っているのか私は知りたいです。教えてくれませんか?」と問いかけるアプローチなので、皆さん心を開いてお話をしてくれるようになるのです。

人は認知症に限らずですが、聞いてくれる人がいるから話をするのです。
アートコンダクターは聞く人にならなくてはいけないと思います。


meet me at MoMAを日本でも

ーー林さんが日本でアートリップの活動をはじめるまでの経緯を教えてもらえますか?

私はコロンビア大学大学院でアートマネジメントを学んだのですが、在学中には大好きなMoMAでインターンとして働いていました。

MoMAに高額な寄付支援をしてくれていたパトロンの方々が、歳をとって認知症になってしまい、段々と美術館に来ることができなくなってしまっていました。
そうした美術館にとって大切な方々に、また美術館に来て欲しいという思いで、MoMAは認知症の方も楽しめる、独自のアート鑑賞プログラムを開発しました。

そのプログラムがあまりにも素晴らしかったので、他の美術館でも実施してもらおうと考えて、メットライフ財団の援助を受けて、全米100館以上の美術館に普及させるプロジェクトを開始しました。

そのタイミングで私もプログラムに出会いました。
そして私も、アメリカ人や他国の学習者に混じって、このプログラムを日本とアメリカを行き来しながら、3年くらいかけて学びました。

日本ではうまくいかないのでは?という懸念も当初ありましたが、まったくそんなことはなくて、予想以上の効果を実感していました。

学生有志と高齢者施設でアート創作ワークショップのボランティア活動を7年続けました。
しかし、学生なので卒業すれば入れ替わることになりますし、ボランティアなので責任感も強くなく、運営メンバーのドタキャンが少なくありませんでした。
そして、私ができなくなればプログラムは終了するしかないなと感じていました。

もうやめようと思って、この活動をまとめた『進化するアートコミュニケーション』(2006, レイライン)という本を出版することにしました。
本を出して、2年くらい経った頃、「自分も活動をやってみたい」「寄付をしたい」など関心を持って出版社に問い合わせしてくれる人が増えてきました。
こうした活動は、やはり人に求められているのだと思いました。

私は、もう一度続けることを検討しました。
そして続けるのであれば、ボランティアではなくて、法人を設立しなくてはダメだと思いました。
それが私が一般社団法人Artsalive(アーツアライブ)を設立した経緯です。

日本には素晴らしい美術館が1,500館もあります。
私は『博物館経営論』の教員でもあるのですが、日本の美術館はこういうプログラムをやるべきだなと思いました。
高齢社会で、どこにでも美術館がある日本でこそ、実施すべきプログラムだと思ったのです。

そして、マニュアルを日本語に翻訳して使わせてもらえるようにMoMAに申し入れて、なかなか良い返事をもらえなかったのですが、半年越しで説得して、ようやく許可をもらうことができました。

MoMAのオリジナルは『meet me at MoMA』という名称ですが、『アートリップ』というのはアートのトリップという意味で私がつけた名称です。
2010年にトライアル開始、2012年より旧ブリヂストン美術館、国立西洋美術館での実施とアートコンダクター養成講座をスタートしました。

MoMAで認知症対象プログラムに出会ってから、これを日本でやりたいと思う気持ちが揺らぐことはありませんでしたが、世間では中々理解されず 認知症予防効果の治験を行なったりしてようやく様々な場所で求められるようになってきたなと感じるこの頃です。


マリア様役とお姫様のライオン役

ーー 聖学院小学校、女子聖学院中高時代の思い出を教えてください

私は駒込に住んでいて、自宅から聖学院小学校が見えました。
丸い校舎で、小さいときから素敵な建物だなと思っていました。

小学校2年生のときにクリスマスページェント(イエス様の降誕の物語を演じる劇)でマリア様の役をもらったんです。
マリア様の役といえば、スポットライトも当たりますし、一番の花と言える役ですよね。
役をもらったことがとてもうれしくて、家でもすごく練習しました。
とても良い思い出です。

それから、写生大会で銀賞をいただいたことも印象に残っています。

女子聖学院中高では小豆島の理科見学や社会科見学、運動会(青組でした)、スキー教室、軽井沢、と思い出は山のようにあります。

高校生のとき、アメリカのサウスカロライナ州にホームステイもしました。
当時のアメリカは治安が悪くなくて、自由行動でロックフェラーセンターに行って、ハンバーガーを食べた記憶があります。

部活動は料理部と演劇部に所属していました。
演劇では「オズの魔法使い」を上演しました。
役はライオンだったのですが、オズの魔法使いのライオンは臆病で泣き虫なんですよ。
それでその役はやりたくないとわがままを言ったら、それなら、お姫様でいいよって言われて。
お姫様ならやっても良いかなと思い、ドレスを着た、お姫様のライオンにしてもらいました。(笑)

それから、女子聖のときから英語は好きで得意だったので、英語のスピーチコンテストで優勝をしました。
ボートピープルをテーマにした英語のスピーチでした。


400名にアートコンダクターを養成、常時100ヶ所の美術館でアートリップを開催

ーー 林さんの描いているビジョンをお聞かせください

MoMAはmeet me at MoMAのプログラムを全米中に広げる活動をしています。
MoMAは美術館であり、組織として行っているのに対して、私は個人の活動であるので、置かれた状況はまったく違うのですが、アメリカに長くいると、できないことはないと思わされるんですよね。
アメリカンドリームではないですが、彼らにできていることが自分にできないわけはないと思い、大きな夢を描いています。

400名のアートコンダクターを養成して、日本中の最低でも100ヶ所の美術館と300ヶ所の施設や病院でアートリップを常時開催している状況を作ることが、当面の私のビジョンです。

「このプログラムは自分が参加しても楽しいし、家族の方々も楽しんでくれている。なぜ、よりによって一番難しい認知症の人にこだわるのですか?」
と、昔、介護施設のオーナーらによく質問されました。

でも、私にとってはそこが一番面白いと思っているところで、「集中してくれない」「心を開いてくれない」「言語化も難しい」そういう人たちがアートを楽しむことができたら、それほど素晴らしいことはないと思うんです。

健常者の方ならば別に誰に助けてもらわなくても自分でアートを楽しむことができますが、認知症の方は私たちの助けがないと楽しむことができない。
だからそこにツアーをやる意義があると思っています。

アートリップは認知症当事者とご家族が対等に参加して絵を楽しむプログラムです。
アートの前ではすべての人は平等なのです。 
継続すれば治療効果もありますが、認知であってもなくても、小、中学生から企業研修まですべての人の脳と心に幸せな変化をもたらすプログラムです。

私はクリスチャンではないのですが、ずっと聖学院で学んできたので、「神を仰ぎ 人に仕う」を実践することが一番の行動指針になっているようです。
(取材:2023年12月)


アートリップという対話型の絵画鑑賞プログラムをファシリテートする林容子さん
「あなたがどう思っているのか私は知りたいです。教えてくれませんか?」
と問いかけるアプローチなので、皆さん心を開いてお話をしてくます。

ーー 林さん、素晴らしい取り組みを取材させていただきありがとうございました。アートリップにはたいへん興味がわきました。

●林 容子(はやし ようこ)さん プロフィール
一般社団法人 Artsalive(アーツアライブ)代表理事
尚美学園大学 芸術情報学部  准教授
一橋大学大学院、武蔵野美術大学、聖路加国際大学 講師
聖学院小学校、女子聖学院中高 卒業
国際基督教大学、アメリカのデューク大学で美術史を専攻、コロンビア大学大学院でアーツアドミニストレーション学修士(MFA)を取得
2009年にアーツアライブを設立、2010年に認知症当事者と家族を対象とした対話型鑑賞プログラム『アートリップ』を開発し、上野・国立西洋美術館などでプログラムを実施している
著書に『アートリップ入門』(2020, 誠文堂新光社)、『進化するアートコミュニケーション』(2006, レイライン)、『進化するアートマネージメント』(2004, レイライン)他

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